第92回アカデミー賞 知らない僕にはこう見えた [よもやま話]

先日 アカデミー賞の発表がありました。

そもそもアカデミー賞とは何なのか? それもあまり知らずにそして考えるコトなく

誰が、どの作品が 受賞するのか。受賞したのか。

その程度の軽い興味で接しています。

そんな僕でも興味半分で予想もしてます。根拠らしいものもなくただただ好みでというか贔屓というやつでしょうか。

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だから僕の中で候補になるのは「自分が観た映画」に限られます。

今年なんらかの形でアカデミー賞ノミネートされた数ある映画の中で、

「アイリッシュマン」
「フォードvsフェラーリ」
「ジョーカー」
「パラサイト 半地下の家族」
「ロケットマン」
「ライオン・キング」
「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」


しか観てないコトになります。

予想通りだった受賞もあれば かなり意外な結果だった賞も多々ありました。

自分なりの結論は やはり いろんな要素が絡み合って受賞作品が決まっているんだろうな。というコトです。

本日2月11日現在で日本では未公開(2月14日公開予定)「1917 命をかけた伝令」は観ておこうと思います。




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学生時代の友人たちとの再会 [よもやま話]

久しぶりに大学生の頃の友人たちと集まりました。

その時に感じたこと 思ったことなどを書いておこうと思います。


「いくつになっても学生時代の友人に会うとその頃の感覚に戻る」って言いますが

ほんと そうですよね。今回もそういう思いに浸りました。


なぜ?そうなるのか。その当時のようになってしまうのか?
ちょっとだけ思いを巡らせてみました。

2つ理由があるように思いました。

人間は みんなそれぞれいくつもの役割を担っていますよね。それがそうさせる。

例えば 会社に行けば 会社の中での役割や期待されている人格のようなものがあり
家に帰れば家族の中での自分がある
子供からすれば「父親」であり、妻からすれば「夫」であり「異性」だったりする

接する相手 その時存在する空間 組織によって演ずる役割が変わり
それに応じた行動 発言をしているように思います

会社で見せる顔と家の中で家族に見せる表情が違うように。

つまり 学生の頃の友人たちと一緒にいる時 自分はその頃の自分であることを
期待されるしそれに応えようと自然に振舞ってしまうからだと思います。

それが心地よいし それを友人も自分も期待しているからだと思うのです

二つ目
集まる友人たちとの話題が共通のテーマである事

共通の話題にもっともなるのが共に過ごした時間の想い出の数々である事は自然な事ですよね

近況報告はもちろんするけど「あの頃は〇〇だったよな〜っ」とか「あいついつも△だった」とか。

過去の話で一番盛り上がりますよね。

「結局お互いに全然変わらないよな。」ってのがその時の期待値だったりもしている気がします。

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[フリー写真] 枯れ草と笑っているカップルでアハ体験 - GAHAG | 著作権フリー写真・イラスト素材集

先日も感じた事は全く同じで
「いくつになっても学生の頃の友人と会うと その頃のような感覚になる」でした。

ただ今回はそれ以上の発見 思いになり自分でも驚きました。

当時 僕が(勝手に)好きでたまらなかった女性の話題が友人の口から出てちょっとした会話をしたのですが
(その女性の事を忘れていたわけではなかったのですが)かなり僕の中でドキドキしました。

感覚が蘇るというか 30年も前の事でも当時の彼女への感情 記憶は変わらず残っているんだと思いました

自分の中にそんな蒼い感情があるという事に気づけたそんな日でした

(行動力だけは半端なかったなーってのも思い出しました。いろんな事にがんばれたもんなア おかげで当時はね。)

当時の自分が今の僕を見たらどう思うんだろうか。
(きっと「もっとヤレるだろ!情けない頑張れよ」って感じだと思います)

そして、今の自分が当時の自分に語り掛けられるとしたらどんな言葉を語るんだろうか。
(「中途半端で終わらせるな。白黒つけて後悔しないように突き抜けろよ」って感じかな。。)

そんな事を思い巡らせるキッカケになりました。

ではでは。


こんなカッコイイ話じゃないんだよな〜っ。僕の場合は。。



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文化や風習を理解すること(一例) [映画]

先日も触れましたが、

同じことをしても 事前準備があるのとないのとでは

楽しめる深みが違うんだな。というのを改めて実感しています。


偶然 図書館で手にした「映画でわかるイギリス文化入門」[1] くわえて、

そのシリーズ続編「映画でわかるアメリカ文化入門」[2] を読んでみてそう思いました。


映画はそこそこ観てる方だと思いますが、背景をちゃんと理解して観てるかというと

かなり怪しい。というか作品の舞台、時代背景などをいっさい無視して観てきたというのが

正直なところです。

(それでも 楽しめてしまっているところがそれらの作品の凄さでもありますが)



で、思ったのです
「映画でわかる〇〇文化」っていうより

僕にとっては 「〇〇文化を知ることで映画が分かる。楽しめる」ってことなんだと。

別に理屈っぽく映画を語りたいわけではなく、「なるほど!」「あ~っ、そういうこと言いたいんだ」
って共感できることで映画をより楽しめるようになるには大切なことなんだな。

そして、これは映画にかぎらず万事に言えることなんだろうな~

と思った次第です。って話でした。

ではでは。

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「1」
映画でわかるイギリス文化入門

映画でわかるイギリス文化入門

  • 作者: 板倉 厳一郎
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2008/06/01
  • メディア: 単行本



[2]

映画でわかるアメリカ文化入門

映画でわかるアメリカ文化入門

  • 作者: 奥村 みさ
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本



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知っているコトで楽しめる。 [映画]

気付いたら結構なペースで映画を観るようになってます。

とは言っても以前は観てなかったと言うわけでもなく、意外に観ていた方なのかもしれません。



年間110日間のペースで海外出張を繰り返していた頃は飛行機の中で。思い起こすと独身時代は

レンタルビデオとして映画を観てました。

そして近頃は映画館で観てることが多いです。

作品そのものへの興味ももちろん有りますが 観ていることで会話の話題にできると言うのも有ります。

そう言う背景もあって劇場で観る。それも公開早々に劇場で観ることが多いのが近頃の行動です。


 今、話題提供の側面よりも作品への興味上映を心待ちにしている作品が有ります
2020年1月10日日本でも上映開始する「Downton Abbey(ダウントン アビー)」です

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以前TVドラマとして放送されて海外では大反響を得たと聞いている作品で
僕も熱心に観ました。
ですが、それに反して日本ではそこまで盛り上がらなかったと言う印象なのも確かです。

実際、友人にこの作品を話題に出してもあまりポジティブな反応を得られることがないです

「メロドラマ」が好きではない。などの意見も聞きますが、それだけではないように思います。

物語の舞台となっているイギリスの文化、生活に関しての興味と理解があればもっと受け入れられたのではないかと思うのです。

かくゆう僕もボンヤリとしか知り得ていないイギリスに関してこの映画を観る前に予備知識を得る努力をしてみました。

下記の出所は「映画でわかるイギリス文化入門」(2008年 松柏社)[1]

■階級

イギリス人の中には階級意識が根強く存在している

 階級は上層・中層・下層の3つに分けて考えられる

 ⑴「上層階級(Upper Class)」いわゆる貴族 全人口の1%
   貴族の称号(侯爵・伯爵など)をもつ古い家系の人たち。代々引き継がれるもので有り 
   誰でも努力すればなれると言う「開かれた」ものではない。

 ⑵「中産階級(Middle Class)」は上層中産階級と下層中産階級とに分けられる
   Upper Middle Classには 主に高級管理職や専門職に従事する人たち(弁護士・医師・研究者
・会社経営者など)
   Lower Middle Classには 中間管理職や事務職全般に従事する人たち

 ⑶「労働者階級」いわゆる「ブルーカラーの仕事をしているひとたち」

 ただし、これらの階級は現在の職業以上に世襲的な要素が強いそうです。
 たとえ現在、弁護士の仕事をしていたとしても、代々「労働者階級」に属していたとすれば
 「労働者階級」として自らを呼ぶし、なんらかの不遇によって財産を失った人たちでも
 生まれが「上流階級」であれば、「上流階級」として生きていける。

 階級移動のためには、それなりの世代において新しい階級に相当する生活を維持し続けないと
 世間的には階級の移動は認められないとか。



 映画を通じて、このような文化、風習を知ることが出来る。ともいえるが
 事前にこのような知識がないと映画も十分に堪能できない気がします。

 知っているコトで楽しめる。
 映画に限らず、様々なことでこれは言えそうですね。
 いまさらながら 『ダウントンアビー(Downton Abbey)』[2]を観ながらそんなことを感じています。

[1] 「映画でわかるイギリス文化入門」(2008年 松柏社)


映画でわかるイギリス文化入門

映画でわかるイギリス文化入門

  • 作者: 板倉 厳一郎
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2008/06/01
  • メディア: 単行本



[2]ダウントンアビー(Downton Abbey)
1912年から1925年のイギリス、ヨークシャーの架空のカントリー・ハウスであるダウントン・アビーを舞台とした、当時の史実や社会情勢を背景作られたイギリスのTVドラマ。
本国イギリスでの放映は、2010年9月26日 - 2015年12月25日(ITV)
アメリカをはじめ世界各国で放送されて大反響だったと聞くが日本ではそこまで盛り上がらなかった(?)のは、イギリスの文化への興味と理解がそれらの国と同じレベルではなかったってことかな。と思ったりもします。



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「ながく 」やり続ける秘訣 [よもやま話]

真面目に何かに取り組む。 僕自身、決してそんなタイプじゃないですが

生涯現役でいたい。という思いが強いです。

「何を」生涯現役でやり続けるか は まず置いておいて

「ながく」やり続ける、やり続けさせてもらえる秘訣、極意のようなものがないだろうか。

 について思ったことを書き残してみたいと思います。(いつもながら書きながら思いを巡らせる僕なので

自分でも結論が見えないままの書き出し。その辺りはご容赦願いたく)

多種多様な要素がありそうな気がしています。が、思いつくままに書き出してみます。

・フォームが良いこと
一流スポーツ選手などを見ていて感じていることなのですが 結果を出す選手が必ずしも自然に受け入れやすい美しいフォームでプレイしているわけではない。と感じることがあります。
その逆に誰の目から見ても美しいフォームでプレイしている選手は選手寿命が長いと思っています。

その好例が陸上のカールルイス選手
伸びやかなフォームで華麗に走り、飛び 世界を魅了し続けてくれました。
(もちろん国際大会などに出場する選手は一般人に比べて格段にフォームが伸びやかであるのは
間違いありませんがその中でもルイス選手のフォームは格段だったと記憶しています。)
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それ以外には、
・「ともだちに恵まれる」
・「勉強し続ける」

これは テレビ番組(玉置浩二ショウ)で 芸能生活50年以上のかまやつひろしさんが語った言葉です



「勉強し続ける」に関しては 語るまでもない気がします。
「なかまに恵まれる」に関しては2つの意味があるように思います

一つは 「(自分を)選んでくれる」友人に恵まれる大切さ
クリエーターそれもフリーランスの方々に 仕事、作品についた経緯を伺うと決まって
「知り合いに声かけてもらった」という答えです

何か決まった基準やルールがあるわけではなく「知人の紹介」で仕事が決まっているそうです

ともだちに恵まれる大切さのもう一つの意味は 「良い刺激」をお互いに与え合える友人という
意味だと思います。

そう思うと「フリーランス」の方々も「サラリーマン」をやり続ける秘訣も根っこは同じなんだと
気付けました。

そうそう、玉置浩二さんが「50才からが本番。それまでは練習」って言ってたのを見て
ハッとしました。実際彼の場合50才過ぎてからの歌の魅力がたまらないです。
ゴール設定が全然違うというか構え方が違いますね。


ってことで、今日はここまでとしておきます。
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目的の明確化について [よもやま話]

なんだか久しぶりに書いてます。

色んなことが重なって遠ざかってました。

でもノリは変わらず 今日も いまふと思ったこと感じたことを綴ってみます。

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「目的」と「手段」の違いを意識する

もう語りつくされている話題でしかないですが

そうは言っても深く大切なテーマな気がしています。



何をやるにも「目的」ってあるんだろうか。

明確な目的意識をもって事に当たることもあれば、

なんとなくアクションすることもありますよね。

でもそのなんとなく事に当たる場合でも目的っぽいモノは存在している気がしませんか。
目的とまでいかなくても理由っていうものなのかもしれませんが。



何のため(目的)のためにそれをやっているの?

⑴ これを実現させるためです (明確な目的 かつ 積極的)
⑵ やらないと不味い。ペナルティをもらってしまうから(罰を避けるという明確な目的 消極的)
⑶ やることがないから手持無沙汰で。。。(時間を埋めるという理由 緩やかな目的 中立的)

なんか色々なパターンがありそうですが きっちり整理するには時間を要しそう。。
妙に気張りすぎずにこのあたりにしておきます。

いずれにしても
目的→理由 と読み代えると やっぱりなにか当てはまりそうな気がしますね。
何にもなくてアクションするって無い気がします。


もう一つのモヤモヤは 何らかの目的や理由があったとして それを明らかにするのが良いか
はっきりさせない方がいいのか。というモヤモヤ。


目的は明確化した方が達成度があがるような気はします。
自分ひとりでアクションする以上に仲間がいたり、周囲の評判を気にする場合は
行動に移す前に 目的を宣言するのが有効。「有言実行」って言葉もあるし。


続きは後で(書き上げるモチベーションのために 途中ながら一旦UPしちゃいます)




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いままで以上に発想が活きる時代 [よもやま話]

モヤモヤしてますW

べつに今日に始まった話ではなく 多くのモヤモヤを抱えながら毎日を過ごしています。

でもこれって、僕だけの事じゃないんだろうな~っ。とも思ってます。


 今日ここでは、『スパッと答えが出たわけではないのですが おーっ、こういう事なのかも。』

『こんな風に説明すると伝えたかったコト、モヤモヤしていたことをヒト(他人)にも共有できそう。』
と思ったあるコトに関して書き留めておきたいと思います。

(よもやま話という割には、ちょっとテーマとしては限定的なんですけどね。)


 映像制作にここ2年ほど興味を持っていて意識して観察しているのですが この業界も激しく日々変化していると感じることが多いです。

 その一つが 『プロの制作者になる為の道って 今まで以上に多様化するかもしれないな』 ということです。

 映像制作を専攻していた人たちだけが必ずしも 映像制作を仕事にしているわけではない。もしかしたらそうじゃない人たちの方が実際はプロの映像制作者として活躍しているのかも。と思ってしまうぐらいです。

 何故なんだろう。モヤモヤ。。。。

一つには、映像は手段だという捉え方をすると整理できる気がします。

映像表現が目的だとするとひたすら映像表現の手法とか映像の質の向上に特化していないとプロフェッショナルにはなれないでしょうが、

映像は何かを効果的に伝えるための手段。だとすれば、映像そのもののクオリティとか表現手法に拘る以上に伝えたいことがチャンと伝わる作品になっているか。がポイントになる筈。

以前は 映像制作といえば 高価で扱うにも高度な専門知識がないと扱えない機材を駆使しなくてはならなくて 映像を専攻する、誰かにミッチリ教わるコト抜きでは従事することが難しかった。

だけど 昨今は(デジタル化により) 個人でも手が届くような機材が多く出回り 機材やデータの扱いも各段に容易で身近なものになった。十分な知識や経験がなくても ある一定以上の質の映像も扱えるようになったのは確かです。

つまり、以前は映像以外の手段(文字やイラスト、写真など)で伝えたいコト、表現したいコトがあった人達も含めて、映像をプロの仕事の手段として使える時代になったと言えます。

 
 映像をあくまで手段の一つとして捉えながら表現してみましたが、もう少し 映像表現そのものが業務の根幹な人たち(ドラマ制作 CM, MVなど)にとって、どのような変化なのか考えを巡らせてみました。

映像制作において、必要なこれら要素3つの要素で考えてみました。
(ほかにもありそうですが ここでは話を簡単にするためにこれで話を進めます。)

⑴(制作にまつわる)技量
⑵ 機材(道具)
⑶ アイディア・発想

以前は、映像制作で求められるものとして⑴技量が大きな比率を占めていたが
それを⑵道具が補ってくれる部分が大きくなって⑶発想力 の重要性が以前にも増したのではないかと
思うのです。(昔も今も⑴、⑵、⑶はお互いに影響しあう関係。時には補完しあったり足かせになったりもするように思います。ここでは補完しあう間柄である部分に意識を持たせてみました)

作品映像を共有する場や手段もインターネットさらには通信速度の高速化することによりより広く
浸透することで共有できる環境も広がりを見せている。

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 誰しも、共有しやすい環境になったのは間違いがなく それだけにテクニック(技量)以上に
アイディア・発想が観てもらえる映像として必要な要素として大きく成長し続けるように思います。


道具も『アイディア・発想』を掻き立てるようなモノが益々求められるんでしょうね。











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『理解の深さ』に関して [よもやま話]

 いつもながら自分でも思うのです。

『(自分の)言っているコトって矛盾している』って。

でも それもしょうがないのかなー。なんて思って自分自身を慰めてます。

っていうのも、そもそも一見、矛盾がなく理路整然としたコメントって不自然だとも思うからです。

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Photo by Benjamin Suter on Unsplash

人に何かを伝えるときには、伝えたい事が伝わるように(実際は物凄く多面的で複雑な事柄を)
単純化して伝える事が求められるからです。だって、伝えた情報がそのまま伝わるコトはなく
良くて表現されたことの2割程度が受け手の中に残るのが現実だから単純化することでのみ
伝えるという目的が達成される。のだと思っています。

 知って欲しい、理解してほしい と思い何かを誰かに伝える。それが動機になり色々なコトを
表現しているのかと思っていますが、『同じような思い』や『同様の理解』を引き出すコトが
目的になってはいけないのかもしれません。

 分かってもらおう。までは良いのかもしれません。分からせよう。同じ理解になってもらおう。と考えてしまったら厳しいのかもしれません。というか、そもそもそういう考え方が傲慢だということを念頭に置いてないといけないんでしょうね。(ついつい忘れてしまっているようです)

 色々話すけど、伝えたい事はコレ。どう感じるかは聴き手次第。
伝わってなかったなー。と思ったら また話すか 諦めるか。

きっとそういう事なんでしょうね。

自分自身の持ち合わせる情報や理解も、自分自身の体験、経験などによって刻々と変化し続けている
訳で、自分自身の理解も変わっていくコトを考えると 自分自身の中の矛盾も 他人に理解してもらえ
なかったりするのも当然と言えば当然のコト。

 焦らず、ゆったりと。
どうしても理解してもらいたかったら、多少時間をかけて根気強く コミュニケーションする
しかないんでしょうね。(コミュニケーションをとっている間に自分自身も変わるコトも往々にして
あるし、伝えたいコトもの重要性も変化する。ってことも十分ありえますねW)

なんか堂々巡り。
やっぱり今日もなんだか、矛盾を包含した内容でした。

ではでは。


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そうか。逆なんだ! [よもやま話]

最近、ちょっと精神的に滅入ってます。

自分のペースで行動できてなくて、思考も追いついていない気がして

落ち込んでいます。

そんな日が続いています。

ヤバいなーなんか、後手後手で。。。

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なんか以前のように楽観的に考えられなくて 

一つのことにドップリ悩んでしまってる状態が続いている。

忙しくて回っていないんだ。先行きが見えない事が多すぎるから。。。

ネガティブ・ループだ。。。ホントやばい。


と思っていたのですが、いまその考え方が間違っているに気づきました。

以前の方が忙しかった。その時は、ポジティブ過ぎるほどポジティブ。
振り回されるなんて感覚は無かったと。

で、思い出したのが
『急ぎの仕事は忙しいヤツに頼め』ソニー元副社長・大曽根幸三の成功金言53


そうだ!忙しくて回ってない。振り回されている感に襲われているのではなく、

悩んでいる暇(時間)がある仕事の仕方をしているんだ。

と気づきました。

そう思うと、急に気が楽になりました。

さあて、バリバリ頑張りま~すW




急ぎの仕事は忙しいヤツに頼め―ソニー元副社長・大曽根幸三の成功金言53 (角川SSC新書)

急ぎの仕事は忙しいヤツに頼め―ソニー元副社長・大曽根幸三の成功金言53 (角川SSC新書)

  • 作者: 石田 修大
  • 出版社/メーカー: 角川SSコミュニケーションズ
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 新書



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タダでもやりたい!と思うコト。 [よもやま話]

 昔の人は、上手に言う。っていいますけど本当、故事ことわざ の類にそう思わされるものが

 事実多いと思います。

 たとえば、『衣食足りて礼節を知る』

 などもその最たるもの。

 自分に余裕がないと、他人に対して優しくする余裕は生まれない。

少なくとも僕自身はそんな人間です。卑下しているわけではなく、誰でもそうなんだろうなー。と

思ってます。

 たとえとして正しいかは、わかりませんが『マズローの欲求の五段階』なども根底には

相通じるものがあるのだと思います。

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生理的欲求

安全欲求

社会的欲求

厳格欲求

自己実現欲求

と、欲求が満たされると次の段階の欲求を志す。という仮説です。

裏を返すと、生理的欲求が満たされていない人には、自己実現どころか社会的欲求や安全欲求すら

芽生えないというコトになります。


ちょっと、話が変わりますが 以前から興味がありながら確認できていないことがありました。

糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』に関してです。

内容も去ることならが、記事を作る工程や関係者の働き方、組織運営に関して興味がありました。

そして手に取った本が『すいません、ほぼ日の経営。』[1]

これを読めばきっと僕の知りたいことが書いてある。と思い購入しました。

初めの部分を読んでいて、答えはありそうだな。と思いつつも、『ちょっと待て、その前にもっと根本的ななぜ(Why)を確認しておかないと理解は深まらないのでは』
と思い立ちました。

その何故、というのは、糸井さんが『ほぼ日』を始めたきっかけ、始めた理由を理解しておく必要がある。と。ならば、もっと遡らないといけないと思い手に取ったのが、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』[2]

この本読んでて思いました。糸井さんってすごいや。って。

いつの時代も時代の先端を行っている人。

そして、そこに至る経緯をわかりやすく、大勢が納得出来る内容で表現出来る人だというコトです。

たとえ、同じようなコトを考えていても上手く表現できないように思います。文才だけじゃなくて、

たとえ話が上手な方だと思うんです。

きっと日常から感受性強く生活されていて、興味の持ち方、洞察力などが優れている方なのかと

思います。

『カネにならない一所懸命がある』

『タダでもやりたい』

『仕事とも遊びとも区別がつかない』

『決まってしまったら、好きになるしかない』

など、僕もまったく同感かつ、この手の話を誰かにしたいのですが、

この一つ一つを上手に伝える能力が備わってないことを痛感しています。

この記事においても、マズローの欲求の5段階 から切り出して、

人は、順序をおって成長してく。その段階を追っていく上でより上位の欲求を求めるようになる。

結果、より成功した人ほど、お金では動かなくなる。

ダダでもやりたいことしかやりたがらない。

というところに落ち着かせる。そんな内容に書きたいと思っていたのですが

上手く書き進めなかったです。

 でも、こういう僕でもなんか、お金じゃ無いよね。

っていうなかで、より得難いものに近付けるような経験をしています。

金銭よりも、理念に賛同することで協力してもらうことが多いからです。

糸井さんは、インターネットというものが生まれたことで、『カネにならない一所懸命がある』

『タダでもやりたい』を実践出来る環境になった。と書かれています。

(ちょっとスケールは小さくておこがましいのですが)

僕も『タダだからこそ実現できている』そんな体験をしています。

なんか取り留めの無い話で申し訳ありません。ただ、ただそんなことを綴ってみたかったんです。

ではでは。




すいません、ほぼ日の経営。

すいません、ほぼ日の経営。

  • 作者: 川島蓉子
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2018/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)

ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)

  • 作者: 糸井 重里
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 文庫



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