すべては、納得感を得るため [よもやま話]

 新規性のある話ではありません。

 いつものように、言い尽くされたコトです。
自分にとっては、ようやく気づけた。というお話になります。

 若きし頃は、力、権力(のようなモノ)があれば、なんでも動かせる。と
思ってました。

 立場が上、優位なポジションのヒトには不可能はない。動かせばいいだけ。ぐらいに。

もちろん、一見して間違っている。と思ってしまうコトになるとそういうわけにはいかない。とは
思ってましたが、それでも大抵のコトは先に進められると。

 これって、きっと考え方の軸がそもそもズレていたんだな。というコトにようやく気づけた気がします。
本当の意味で、ヒトを動かす、となると、そのヒトたちの本気度が大切。ただ単に取り組んで
もらっているだけでは、本質的には何も生まない、生まれない。

 「腹落ち」しない状態で取り組んでもらっても意味をなさない。

 組織も動かせない。


井深大さんは、「説得工学」という言葉を時折使われた。という話をいぜん何かで見ました。
今思うと、その時の若かりし僕は、ふ〜ん。ぐらいなものでピンときてなかったです。

創業者で大成功者で、好かれ崇拝される方に、「説得」なんての必要がないでしょ。
やって。って言えばなんとでもなるんじゃないのかな。ぐらいの気持ちでした。

やってもらうコトができても、それは本気で取り組ませることにはならなければ意味をなさない。
ということに気づけた気がします。

ibukamasaru_400x400.jpeg

そう思うと、経営学とか、マーケティング理論とか、戦略論とか、いろいろな理論とかありますが
いずれの手法もも誰かを説得して、納得させる手法なんだな。とつくづく思った次第です。

後付けの理論結構、多少の脚色OK.
理路整然としているかどうか。ではなく、その気にさせられるかどうか。

その目的を果たすには、どういうアプローチがこの場合効果的だろうか。

そう考えると、答えは当然一つではないし、同じ理論を用いても結果は違うのも納得がいきますね。

ではでは。


nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:仕事

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。