『理解の深さ』に関して [よもやま話]

 いつもながら自分でも思うのです。

『(自分の)言っているコトって矛盾している』って。

でも それもしょうがないのかなー。なんて思って自分自身を慰めてます。

っていうのも、そもそも一見、矛盾がなく理路整然としたコメントって不自然だとも思うからです。

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Photo by Benjamin Suter on Unsplash

人に何かを伝えるときには、伝えたい事が伝わるように(実際は物凄く多面的で複雑な事柄を)
単純化して伝える事が求められるからです。だって、伝えた情報がそのまま伝わるコトはなく
良くて表現されたことの2割程度が受け手の中に残るのが現実だから単純化することでのみ
伝えるという目的が達成される。のだと思っています。

 知って欲しい、理解してほしい と思い何かを誰かに伝える。それが動機になり色々なコトを
表現しているのかと思っていますが、『同じような思い』や『同様の理解』を引き出すコトが
目的になってはいけないのかもしれません。

 分かってもらおう。までは良いのかもしれません。分からせよう。同じ理解になってもらおう。と考えてしまったら厳しいのかもしれません。というか、そもそもそういう考え方が傲慢だということを念頭に置いてないといけないんでしょうね。(ついつい忘れてしまっているようです)

 色々話すけど、伝えたい事はコレ。どう感じるかは聴き手次第。
伝わってなかったなー。と思ったら また話すか 諦めるか。

きっとそういう事なんでしょうね。

自分自身の持ち合わせる情報や理解も、自分自身の体験、経験などによって刻々と変化し続けている
訳で、自分自身の理解も変わっていくコトを考えると 自分自身の中の矛盾も 他人に理解してもらえ
なかったりするのも当然と言えば当然のコト。

 焦らず、ゆったりと。
どうしても理解してもらいたかったら、多少時間をかけて根気強く コミュニケーションする
しかないんでしょうね。(コミュニケーションをとっている間に自分自身も変わるコトも往々にして
あるし、伝えたいコトもの重要性も変化する。ってことも十分ありえますねW)

なんか堂々巡り。
やっぱり今日もなんだか、矛盾を包含した内容でした。

ではでは。


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