文化や風習を理解すること(一例) [映画]

先日も触れましたが、

同じことをしても 事前準備があるのとないのとでは

楽しめる深みが違うんだな。というのを改めて実感しています。


偶然 図書館で手にした「映画でわかるイギリス文化入門」[1] くわえて、

そのシリーズ続編「映画でわかるアメリカ文化入門」[2] を読んでみてそう思いました。


映画はそこそこ観てる方だと思いますが、背景をちゃんと理解して観てるかというと

かなり怪しい。というか作品の舞台、時代背景などをいっさい無視して観てきたというのが

正直なところです。

(それでも 楽しめてしまっているところがそれらの作品の凄さでもありますが)



で、思ったのです
「映画でわかる〇〇文化」っていうより

僕にとっては 「〇〇文化を知ることで映画が分かる。楽しめる」ってことなんだと。

別に理屈っぽく映画を語りたいわけではなく、「なるほど!」「あ~っ、そういうこと言いたいんだ」
って共感できることで映画をより楽しめるようになるには大切なことなんだな。

そして、これは映画にかぎらず万事に言えることなんだろうな~

と思った次第です。って話でした。

ではでは。

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「1」
映画でわかるイギリス文化入門

映画でわかるイギリス文化入門

  • 作者: 板倉 厳一郎
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2008/06/01
  • メディア: 単行本



[2]

映画でわかるアメリカ文化入門

映画でわかるアメリカ文化入門

  • 作者: 奥村 みさ
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2007/03/01
  • メディア: 単行本



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知っているコトで楽しめる。 [映画]

気付いたら結構なペースで映画を観るようになってます。

とは言っても以前は観てなかったと言うわけでもなく、意外に観ていた方なのかもしれません。



年間110日間のペースで海外出張を繰り返していた頃は飛行機の中で。思い起こすと独身時代は

レンタルビデオとして映画を観てました。

そして近頃は映画館で観てることが多いです。

作品そのものへの興味ももちろん有りますが 観ていることで会話の話題にできると言うのも有ります。

そう言う背景もあって劇場で観る。それも公開早々に劇場で観ることが多いのが近頃の行動です。


 今、話題提供の側面よりも作品への興味上映を心待ちにしている作品が有ります
2020年1月10日日本でも上映開始する「Downton Abbey(ダウントン アビー)」です

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以前TVドラマとして放送されて海外では大反響を得たと聞いている作品で
僕も熱心に観ました。
ですが、それに反して日本ではそこまで盛り上がらなかったと言う印象なのも確かです。

実際、友人にこの作品を話題に出してもあまりポジティブな反応を得られることがないです

「メロドラマ」が好きではない。などの意見も聞きますが、それだけではないように思います。

物語の舞台となっているイギリスの文化、生活に関しての興味と理解があればもっと受け入れられたのではないかと思うのです。

かくゆう僕もボンヤリとしか知り得ていないイギリスに関してこの映画を観る前に予備知識を得る努力をしてみました。

下記の出所は「映画でわかるイギリス文化入門」(2008年 松柏社)[1]

■階級

イギリス人の中には階級意識が根強く存在している

 階級は上層・中層・下層の3つに分けて考えられる

 ⑴「上層階級(Upper Class)」いわゆる貴族 全人口の1%
   貴族の称号(侯爵・伯爵など)をもつ古い家系の人たち。代々引き継がれるもので有り 
   誰でも努力すればなれると言う「開かれた」ものではない。

 ⑵「中産階級(Middle Class)」は上層中産階級と下層中産階級とに分けられる
   Upper Middle Classには 主に高級管理職や専門職に従事する人たち(弁護士・医師・研究者
・会社経営者など)
   Lower Middle Classには 中間管理職や事務職全般に従事する人たち

 ⑶「労働者階級」いわゆる「ブルーカラーの仕事をしているひとたち」

 ただし、これらの階級は現在の職業以上に世襲的な要素が強いそうです。
 たとえ現在、弁護士の仕事をしていたとしても、代々「労働者階級」に属していたとすれば
 「労働者階級」として自らを呼ぶし、なんらかの不遇によって財産を失った人たちでも
 生まれが「上流階級」であれば、「上流階級」として生きていける。

 階級移動のためには、それなりの世代において新しい階級に相当する生活を維持し続けないと
 世間的には階級の移動は認められないとか。



 映画を通じて、このような文化、風習を知ることが出来る。ともいえるが
 事前にこのような知識がないと映画も十分に堪能できない気がします。

 知っているコトで楽しめる。
 映画に限らず、様々なことでこれは言えそうですね。
 いまさらながら 『ダウントンアビー(Downton Abbey)』[2]を観ながらそんなことを感じています。

[1] 「映画でわかるイギリス文化入門」(2008年 松柏社)


映画でわかるイギリス文化入門

映画でわかるイギリス文化入門

  • 作者: 板倉 厳一郎
  • 出版社/メーカー: 松柏社
  • 発売日: 2008/06/01
  • メディア: 単行本



[2]ダウントンアビー(Downton Abbey)
1912年から1925年のイギリス、ヨークシャーの架空のカントリー・ハウスであるダウントン・アビーを舞台とした、当時の史実や社会情勢を背景作られたイギリスのTVドラマ。
本国イギリスでの放映は、2010年9月26日 - 2015年12月25日(ITV)
アメリカをはじめ世界各国で放送されて大反響だったと聞くが日本ではそこまで盛り上がらなかった(?)のは、イギリスの文化への興味と理解がそれらの国と同じレベルではなかったってことかな。と思ったりもします。



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実感する、体感することこそ学びの近道のようです。映画『旅するダンボール』 [映画]

自分でも世間一般的には、映画を見る方だと思います。

そして先日、映画を観ました。

あまりジャンルを決めて見ることはないですし、洋画派、邦画派というのにも拘りはありません。

何らかのキッカケというか、縁がある映画を観ているというか、観たから何となく関係性が生まれたりしている。って感じです。

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今回観た映画も、ただただ偶然に巡り合った映画でした。

いつものように事前の知識は一切ありませんでした。海外でそんなに話題になっていることなんて映画をみた後に知ったぐらいですから。[1]


『旅するダンボール』って題名のドキュメンタリー映画でした。




ドキュメンタリー映画と聞くと、何やら硬めのメッセージが根底に会ったりする。と自分勝手なイメージを持ってしまいます。

が、昨日みた映画は、そんなことなかったです。

メッセージ性はあるんです。だけど、押し付けがましくないというか なるほど。って自然に思わされて、観た人たちはいつの間にか納得感に包まれているそんな映画でした。

頭で分かったつもりになっていても、実際はほんの表面的な部分の理解に止まってしまっている、いやそれは誤解に近い。そんなことって実は多いようです。『旅するダンボール』に関しての鑑賞前と後の印象は間違いなくそれでした。

これもあくまで想像に過ぎないのですが、この作品を撮り始める前には決して知る由もないハプニングの連続。それが観るもの感動にストレートに繋がる。それも心地よく、そして良い意味で期待を大きく超えるレベルで。
観てみないと分からない。実感できない。そんな経験をまたしたように思います。




[1]
SXSW2018に新時代のクリエイター島津冬樹を撮った岡島龍介監督のドキュメンタリー『FROM ALL CORNERS』が正式出品決定!
http://cinefil.tokyo/_ct/17145525


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『没入感』まさに、それを感じました。 [映画]

感動させるってどういうことなんだろうか?

そういう人を感動させているヒトたちって何を大事にしているんだろうか?


そんなことを考えてます。


じゃあ、僕自身が最近感動した瞬間を思い出してみよう。そう思いました。




パット思い付いたのは、

これらの映画と映画の予告編を観ていたときです。

内容というかジャンルは全く違うし、観るにいたった経緯も違います。


■映画『悪女(AKUJYO)』
 2018年2月10日から日本でも公開されている
 韓国のアクション映画です。

 冒頭でこのシーン。つかみの7分間完全なる『没入感』に浸ってました。

 

 劇場でもこのシーンふくめて本編観ました。
 迫力満点のアクションと壮絶なストーリー展開約2時間10分間の上映時間もあっという間でした。

いやいや、壮絶なんてもんじゃないですね。

 度肝を抜かれるのと、エグサゆえのリアリティ。

 いやリアリティを超えた表現で、人間の心情ってなんだろうか。

 と感じさせる映画でした。


■映画『Miss Slone(女神の見えざる手)』

 歯切れのいい主人公のセリフ、展開が最後まで読めないでもちゃんと伏線を拾い続けている。

 小さな伏線と全体を通じてみせてくれる伏線。

 ハラハラドキドキとはまた違う、引き込まれを感じた作品でした。

 この興奮と『没入感』は、この映画を観た人にしかわからないかもしれません。



(残念ながら、この映画の上映は終わってますが 春にBDやDVDで販売される予定です)


■映画のワンシーン『Never Enough』~映画 The Greatest Showman~

 今話題のThe Greatest Showmanのワンカットです。
 ふとした、切っ掛けでYoutubeで見かけました。

 もともと、The Greatest Showmanに興味があったので、Keala Settle が歌ってるのをみて、Hue Jackmanが泣いた。というシーンを観に行ったのですが、このシーンをいつの間にか見てました。

気が付いたら何度も何度も、観てる自分がいました。いつの間にか涙が出ていました。

完全に『没入』状態です。




そういうヒトを感動させる人たちってどんな人たちなんだろうか。

そういうヒトたちをサポートすることで自分たちも感動を提供できるんじゃないかと思っています。


制作していたときのクリエーターの皆さん、アーティストのみなさんご自身もきっとハイテンションで、『没入』してたんでしょうね。



別に、映画に感動した。映画だから心揺さぶられ、没入していた。という話にはしたくない。
ここからも僕自身のためのヒントを得たいと思っています。

ではでは。


https___blogs-images_forbes_com_scottmendelson_files_2015_10_rebecca-ferguson-1940x1293.jpg


(*この記事を書いた時点では、The Greatest Showmanは、観てません。Trailerのみですが 書き終えた時点で予約しました。塾に行っている娘には悪いですが珍しく、昔の彼女(**)とみてきます。泣きそうなので席は離しましたW)

**あくまで須藤高広さん流の表現です(爆)
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WHIPLASH(邦題:セッション)を観て分かったこと。 [映画]

正直、知りませんでした。この映画。

La La Landを観るまでは。

映画に関して、いろいろ調べている割には映画を観ていない。。。それどころか友人には映画を
もっと観るように!と強要している自分に猛省です。

で、話を元に戻します。
冒頭で『この映画』と言ったのは、La La Landの監督デミアンチャゼル氏の作品
『WHIPLASH(邦題:セッション)』(2014)のコトです。

”Not Quite My Tempo !” というセリフとシーンがとても印象的なこの映画ですが
とにかく、ネタバレになるのが嫌なのでこれ以上は、ストーリーには触れません。

WHIPLASH.jpg

La La Landを観て、デミアンチャゼル氏に興味をもちググって予備知識が出来て
観たくなった。といういかにもど素人的な行動ですW.


率直に、面白かったです。楽しめました。心に残る作品の一つになりました。
興味が益々、増えてきてググってみて、いろいろ知ることになりました。

『WHIPLASHには、2バージョンある!』
らしいのです。

正しくは、2014年の本編を制作するための予算を集めるために、
台本の15ページ分だけを2013年に作った。というのが背景だそうです。

有りがたいコトに、2014年版と2013年版の比較動画がネットにアップしてあります。
動画の出だしにこの動画は、教育目的であることの断りがあります。

”This is for educational purpose only.
All rights belong to Damien Chazelle and Sony Picture ”

スクリーンショット 2017-05-10 3.00.11.png




どうやら映像制作者の皆さんのための教材として提供されているようです。


Whiplash Movie and Short Comparison (Movie and Short Audio) [1]




もちろん、僕もこの比較動画を観ました。




シーンやカットは、ほぼ同じ…



違いは?




画作り(照明とカラーグレーディング)



つまり、
映画制作関係者は、予算が許せば 画作りにお金をかけたい。
ということが伝わってきます。

2013年版は、外からの自然光で撮影して録りっぱなし。

20170412 『カラーセミナー振り返り』 (Cpro向け)ver1.2.jpg

20170412 『カラーセミナー振り返り』 (Cpro向け)ver1.3.jpg


それに対して、予算のかけられた2014年版は
明らかに柔らかいサイドキー(ライティング)と天井からの拡散光が当てられていて、
ポストプロダクション(カラーグレーディング)に時間とお金がかけられているのが
観てとれました。
(同じ俳優さんの演技でも表情がまるで違って見えますね。
 結果、観る人の没入感を引き出してくれるのが想像できます。ここに映像クリエーターたちの
 こだわりがあるのでしょう。)


映画業界は、他の映像業界に比べて 画作り に対して注力すると言いますが、
この比較動画のお陰でそれが良く分かりました。

ではでは。

20170412 『カラーセミナー振り返り』 (Cpro向け)ver1.4.jpg

[1]Whiplash Movie and Short Comparison (Movie and Short Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=uCUE_3k2tAY&feature=youtu.be&a







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2500年前と人間、社会の根本は変わっていない。と感じさせられる。[論語] [映画]

孔子が生きたのは、紀元前501年の中国。いまから2500年前のこと。日本は、まだ石器時代。[1][3]

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 その孔子の教えがツマッている『論語』にハマっている。日本の名経営者たちが手にする『論語』に執心といえば何やら格好いい。
 だが、まだまだ初心者向けのガイドブックを必死で読むのが誠意パイ。

 だが、なにやらココに僕の悩みを解決すべく答えの多くがあるように思えてしょうがない。『論語』という書物そのもの、内容だけではなく、その生い立ちや、原典から入るのではなく平易な解説本から入って行くという僕の行為も含めてである。

自分が理解できないような漢文を背伸びして読もうとしても、ただただ硬い解説しかなくて興味が続かなくなっても意味がない。物事を楽しむ、吸収するためにはある程度の下準備、下地が必要。そのためには、背伸びは禁物。自分の目線にあったものがいい。

 よく似た事例は、先般より取り上げさせてもらっている『ちょっとアホ!理論』にみる出路さんのアプローチ。聞いてもらいたい人間が聞いてみようかな、理解できる。わかる、わかる。と思えるような平易な表現と文字表現。(活字ではなく、肉筆での表記など)[4][5]

もう一つ、よく似た事例を先日 富山県立高志の国文学館で開催されていた『藤子・F・不二雄の「SF」』展に見た。

藤子・F・不二雄さんのまんがのテーマは、 ドラえもんなどのようなSF色の強い作品が多いところからしてもSFだと思える。SF=Science Fiction だよな〜っ。と思いきや、そこがちと違う。

藤子・F・不二雄さんは、こだわりをもっておScience Fictionではない。と言い切っている。S=すこし。F=ふしぎ。だと。藤子さんのまんがは、すこし・ふしぎ をテーマにしているそうだ。

「ぼくにとってのSFは、サイエンスフィクションではなくて、「少し不思議な物語」のS(すこし)F(ふじぎ)なのです。」藤子・F・不二雄[6]

読んでくれる子供たちのための目線の高さ。にこだわったのだろう。



といろいろ書いたが、人間の根本、本質は変わっていない。
暫くは、僕自身普遍的な『論語』、孔子がらみの本、資料に執心なのである。


(この映画、孔子の子孫も登壇!衆議院議員会館にて『孔子の教え』試写会も開催したそうだ。)[3]

ではでは。

[1]



[2]

論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川学芸出版
  • 発売日: 2011/02/05
  • メディア: Kindle版



[3]映画「孔子の教え」
http://www.koushinooshie.jp/

[4]


ちょっとアホ!理論 倒産寸前だったのに超V字回復できちゃった!

ちょっとアホ!理論 倒産寸前だったのに超V字回復できちゃった!

  • 作者: 出路 雅明
  • 出版社/メーカー: 現代書林
  • 発売日: 2006/05/30
  • メディア: 単行本



[5]]曖昧さを避けようとすると数式になる。曖昧でもいい、厳密でもいい。心を揺さぶれることが大切。(企業理念考)[論語] (よもやま話)http://mike-shimada.blog.so-net.ne.jp/2014-05-01

[6]企画展「まんが家 藤子・F・不二雄の『SF』(すこし・ふしぎ )」(高志の国 文学館 2014年3月20日〜6月2日まで開催)

http://www.koshibun.jp/news/exhibit/fujiko-f-fujio.html

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[7]

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/02/03
  • メディア: 単行本


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”事業戦略”と”ブランド戦略”との関係 〜 その④〜Best practice "ディズニー映画”(アナと雪の女王) [映画]

グローバル戦略、グローカル戦略に関して少々考察してみたが、これぞBest Practice!と呼べる事例を目の当たりしにたのでここに書き残しておきたい。

 ディズニー映画といえば、親が子供に安心して観せることが出来る良質の映画。子供だけではなく、大人がみても充分に楽しめるクオリティをもったエンターテイメント性がある。というのが世間一般の評判のように思う。僕も一切この評価に対して異存はない。まったくもって同感。

 その確固たるポジショニングを最大限に活かして、ヒット映画を連発している。(もちろん、ディズニー映画にも栄枯があり、いつも好調だったわけではない。Pixerの出現がなかったら。。。という時期も経ている。)

 で、今回テーマに取り上げたいのは、現在世界中で大ヒット中の映画「アキと雪の女王(原題 FROZEN)」。ストーリーは、複雑すぎずかつ、アニメミュージカルというスタイル。(ディズニー映画が確立したポジショニング故に成立するカテゴリーのように思う。この点が実は凄い大変凄い。)

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 ミュージカル・アニメなので、楽曲の出来が大事なのはもちろんのこと、字幕バージョンだけだと楽しめる層が限られてしまう。歌詞がセリフなのです〜っと観客に入らないといけない。ということで重要になるのが各国での吹き替えを誰がやるのか。声室だけでは選べない。歌唱力が問われる。ディズニーのクオリティにマッチした声優(俳優・女優)の起用が肝になってくる。

 ディズニーブランドのグローバル戦略を満足しつつも、ローカル戦略・戦術を実現出来ることがいつも以上に要求されるのがこのタイプの映画だと思う。

 それを見事にやりきった。というのが僕の評価。もちろん、僕は日本語吹き替えバージョンを観た。素晴らしかった。とくに松たか子さんの歌声えに痺れっぱなしだった。神田沙也加さんもなかなかのもの。7歳の娘も大満足だったが、僕の満足度もそれ以上だったかもしれない。サントラを早速購入して、通勤途中などに聴いている。



『アナと雪の女王』松たか子さんアフレコ写真.jpg

 で、日本以外ではどうなんだろう。と興味が沸くところだが、サイトでのニュースを見る限り公開した国ではことごとく第一位を獲得しているという。

 こんな素晴らしい歌声まで出ているそうだ。[1]



グローバル化は、簡単ではない。だが、見事にやりきっている例もある。だただた関心するばかりだが、自らもチャレンジしてみたい領域である。

日本語タイトルのアキと雪の女王。これも良かったのだろう。なにせ原題は、FROZEN.直訳では、難しかった筈である。

(みんな素晴らしい。でも僕は、やはり松たか子さんのLet it Go(ありのままで) が一番好きだな。英語で感情移入出来るレベルじゃないのでW May.Jさんのはちょっと濃すぎる。 あくまで個人的な好みの話です。)

ではでは。

後記(2014年4月29日);やはり並々ならぬ戦略と戦術がそこにあったようだ。日本での工夫の一つは、「楽曲の素晴らしさをいかに日本語で伝えるかに、全力を挙げました。歌詞の内容はもちろん、たとえばサビは語尾の母音を『オ』で揃えて、英語と日本語の口の動きを合わせるといった工夫をしています」とのこと。全て結果に結びつけているところがまた凄い。[2]

[1]「アナと雪の女王」のテーマソングを歌う11歳が上手すぎる【動画】(The Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/01/frozen_n_5073967.html

[2]アナと雪の女王」ヒットの裏に日本の独自戦略あり (The Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/27/frozen_n_5223448.html

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今の僕は、「自己肯定感を持てているか?」 我が社は、「世の中の人を豊かにする。感動して幸せになってもらう。」を企業目的としているか? 映画”シュガー・ラッシュ”を観ながらそんな事を想起した。 [映画]

今日、6歳の娘にねだられて、ディズニー映画新作「シュガー・ラッシュ」を観た。物語そのものに自分がダブってしまった部分もありもの凄く感動してしまった。自分のいま於かれている立場や、状況が主人公に重ならなくても感動してしまうのではないだろうか。そうも思った。友人・知人に勧めてしまいそうだ。

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加えて、本編である「シュガー・ラッシュ」の直前に上映された短編「紙ひこうき」が素晴らしかった。こころが揺さぶられるストーリーと映像。こちらの方も必見だ!

これらの映画を観ていておもったことは、2つ。1つは、ここ数年間ずっと感じている自己肯定感。業務にたいして自己肯定感をいかに見出すか、感じられるようにするか工夫してきた。業務が変わるそのたびに一旦失われていた肯定感を取り戻して来た。そしてまた、この4月から業務が変わる。自らが提案してきた業務ではあるが、自らが陣頭指揮をとるというアイディアではなかった。が、結局自分がその道のスペシャリストとして業務担当する。という流れになった。会社にとって必要なことだと思って提案したが、自分がやる仕事ではない。という思いが強かった。ここ数年間、将来の夢に向かって業務上も私生活でもMBAを取得したりしながらアウトプットも十二分に出して来たと思う。かなりの成果を出したと自負していたが、会社の中での評価はそこまでではなかったのだろう。目指す夢にたいして会社が出した答えはNo. ならば会社のために練ったアイディアを誰もやらないのなら自分でやりましょう。となかば飲み込んだ。状況。自己肯定感どころではない。。。もちろん新しい業務をさげずむつもりは毛頭ない。が、肚から納得しているかというと。。。
 シュガー・ラッシュの主人公ラルフは、ゲームセンターのなかの1キャラクター。自分はゲームの中で悪役。ヒーローのように仲間からも、ゲームをするユーザーからも好かれたいのに。。。という自己肯定感を持てずに悩んでいる。そんな設定。他のゲームのキャラクターたちとゲームの世界で交流しながら自分の存在意義、役割の重要性に気づいて行く様を描いた作品。最後は主人公ラルフは、悪役ながらゲームの中の仲間たちに認められる存在となり自己肯定感を取り戻す。取り戻すまでの過程のストーリが素晴らしいこと、また、ゲームの性格(データ、バグ、ネットワーク回線など)を上手に取り込んだ構成に現代にマッチした構成に感心した。

「今日は、社長がカストーディアール」
ディズニーランドでは、年に一度「アルバイト感謝デー」を開催する。その際にホストになるのは正社員。そのなかには、社長も含まれる。で、その社長は何をするのか?というと以前は、社内では不人気だったカストーディアール(清掃係)。普段からの意識改革や、このような社長による地位向上により、カストーディアールは、人気の部署に変わったそうだ。 というのを自らのブログで綴ったのを思い出す。

この映画を観たから自らの”自己肯定感”を取り戻せた。という単純な話でもないところが現実。だが、自己肯定感という言葉に関して、ジックリ考えさせてくれるキッカケには十分になった。まだまだ小さい自分がここに居る。というところなのだろう。

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もう一つの感動は、先に述べた”紙ひこうき”という短編映画。この映画でディズニーという企業は、やはり真に”人の生活を豊かにする”という事を企業理念とし、かつ実践していると改めて感じさせてくれた。
短編ながら見応え十分。質の高い内容と映像に身動き出来なくなるくらいに感動を憶えた。こんな仕事を出来ているだろうか。と自問自答してしまった。
企業にとって理念、ありたい自分を明確にもち社内外に共有することの大切だということは良く言われる。どうじにその理念、企業目的は、より高い次元での目的設定が望ましい。(社員にも世の中の人たちからも喜ばれる。多角化経営する際も、あとから始める事業はより現状コア事業よりも高い次元の目的に向かったものが成功に繋がるとも言われるのはそのためだとツクヅク思う。)
 ”紙ひこうき”心が純粋になり、なんだか忘れかけていたピュアな感動を憶えさせてくれた。



これを思い出してしまった。昔はこういうのもあったな。。。


なんか最近、”本来の”目的を見失っている気がする。

”紙ひこうき” ”シュガー・ラッシュ”とあわせて超話題になることは間違いないだろう。
(Googleで調べたら、既に超話題作だった。それを知らずにみてこれだけ興奮できる。考えさせれれる映画。本物だと思う。)

ではでは。

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凄く共鳴した。感動した。 ”英国王のスピーチ” (なによりも実践的であること) [映画]

先日、ロサンジェルスから東京に戻る際の飛行機内で観た映画にいたく感動した。家に戻って妻にその話をしたら彼女は以前僕にこの映画の事を話していたらしいが詳細なところまで彼女の話を憶えていなかった。もっとシッカリ聴くようにしようと思う。情報源としては、彼女は確かなものをもっている。すくなくとも僕にはと再認識させられた出来事だった。

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情報に乗り遅れていたために知らなかったがアカデミー賞も4部門、それも作品賞、主演男優賞、脚本賞、監督賞という主要4部門を総なめしたとのことで巷の評判もよいとのこと。そこまでの認識をしないで観たのが確かに素晴らしい作品、映画だった。アカデミー賞に限って言えば、助演男優賞を是非、彼ジェフリー・ラッシュにあげて欲しかった。味のあるいい演技なんとも言えない存在感があった。

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この映画を観て感じた事が2つある。
一つは、英国王ジョージ6世が自分の負の部分を克服することで大きく飛躍したこと。自分の短所である”吃音というコンプレックス”を克服していくなかで自信と勇気を身につけて行く。立場のある、影響力のある国王という立場の人にそれが起きたことで英国という一国に大きくプラスに働いたという事実。やはり物事には2面性があり、かつその良いところは悪いところにもなり、さらにはその良さ、悪さの大きさは、相関性がある。大きくマイナスなことは、大きくプラスに転じる可能性を持っているということ。
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今回の東日本大震災も日本全体で大きなプラスに展開して行きたいところだ。

もう一つは、学術(アカデミック)と実学(プラクティカル)との関係。どうも世の中の傾向としては、アカデミックなアプローチに敬意を示し、実践的なアプローチを低いものだと見る傾向がある。大学に権威を感じ、大学発のアカデミックなアプローチにはなにか、崇高なものを感じ、企業などから発信されたプラクティス(実践)は、なんだかうさん臭く扱われてしまっているのが現実。(この辺は、多摩大学の橋本先生の表現がより肚に落ちる。近日中に僕らの勉強会でも取り扱ってみたい。)

僕自身、経営コンサルタントおよび、大学院講師になって社会貢献することを将来の夢としているが、実践的な経験をバックグラウンドとしていることを売りにしたいと思っている。要は、これらの世界でもMBAホルダーでないと、軽視される傾向がある。学術的なバックグラウンド在り。というエビデンスが求められる(空気がある。)それもあって僕もこの4月から大学院に通う予定だが、本心はそういう証書よりも人間関係形成、異なった人たちに出会うことで自分自身への気付きを期待している。

 そういう意味で今回の映画に出てきたセラピストが僕にとってイメージだ。スピーチ矯正の専門家というオーストラリア人のライオネルに共感を憶えた。医師免許はないが、実績はある。学術的なアプローチよりも実践的なアプローチを好む。一般的な手法でない。と言われても自分で手応えを感じている手法で治療を続けて行く。必要なのは、エビデンスではなく実績、実力。求められているのは結果をだすことであって権威ではない。というところだ。それを今回の映画では、ジェフリー・ラッシュが実に好演してくれていた。

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現在の業務を進めて行くお陰で話をする機会が出来たアイルランド出身の同僚は、学術的なバックグラウンドは無いが、お店経営を通じてお客様への洞察力を身につけている。学術的な背景を持つかれの同僚とは、全く意見が会わず衝突しているようだが、どうみても実践的かつ、お客様の意志を掴めているかれの意見にぶがあるように感じる。重要なのは権威ではなく、結果を出す事。それが分かっている人、自然と身に付いている人というのがそのアイルランドの同僚。仕事を通じての出会いは、この上なく貴重だ。目指すところが同じで、真剣勝負を一緒にしているからだろう。なにものにも代え難い。

 大学院と業務との間で時間の配分を何処まで上手くこなせるか。バランスをとっていけるかがこれからの課題だが、明らかに僕の中では、業務へのプライオリティが高いのは間違いない。業務に活かすために大学院に通う。MBAホルダーになることは、オマケでしかないのだから。
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ジェフリー・ラッシュ(左)が堪らない。
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ではでは。
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映画ソーシャル・ネットワークを観た。(まだ観ていない人は、この記事読まないこと!) [映画]

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いまシンガポールに向かう機内でこれ書いている。たった今、話題の映画ソーシャルネットワークを観た。
Facebookの起源というか、彼のモチベーションはどこにあったのか。映画の中では、かなり単純というか若者らしい欲求とエネルギーの賜物がFacebookということだった。友達と会話したい、友人知人が何しているか、自分が何をしたかを友人たちと共有したい。知りたい、知らせたい。で、女性にもてたい。そしてヤリタイ(下品だが事実本能だからショウガナイ。)。そういう思いをもったITオタクマーク・ザッカーバーグらが作ったのがFacebook.

それによって世代を超えても若者文化、欲求には違いはなく違うのは、ツールが違うだけだ。という考えをまた強くした。確か、以前に秋元康さんの講演会で聞いたことがある。それを思い出した。たとえば、若者がハマるのは、音楽、恋愛、ファッション。これって世代が変わっても基本的に変わっていない。変わっているのは、方法(ツール)だけだ。音楽(レコード→CD→インターネット配信)、恋愛(交換日記→SNS:Facebookなど)、ファッション(その時々の流行を追いかける。)などなど。
映画の中で描かれた、この青春群像と彼がやったこと。それによって以前の状況に変化を起こした内容を整理してみる。

冒頭で主人公マーク・ザッカーバーグが好きな彼女とちょっとしたことから大喧嘩をしてしまう。腹いせに彼女の悪口をいいふらす。(昔なら言いふらす。いま、ブログ。)
そののりで、ちょっとした仲間との悪ふざけで始めた友人知人関係者女性の美人ランキング付する。(これって結構男性なら好きな遊び。女性の方々、不快でしょうが許してやってください。そういう生き物なのです。とくに若いときはこういう悪ふざけ大好きです。昔なら、電話とか飲み屋のあつまりなどで。いま、彼らはインターネットを使った。)
で、最後はFacebookを作ってSNSを作る。(ちょっと違うかもしれないが、学生などは友人のネットワーク形成に躍起な奴って昔もいた。昔は、電話とか飲み屋で。でそれが電子メールとか駆使して、いまはSNSを多様している。)
とっくにお気づきだと思うが、やりたいことは変わっていなくてそれが簡便になって規模が大きくなっている。それを可能にしているのがインターネットということ。つまり、題名であるソーシャルネットワークも昔からあった。それがFacebookなどで広がり感が飛躍的に大きくなったということだろう。それによる社会的影響力も巨大化した。(Facebookがトリガーになって市民運動がおこり、専制政府が崩れた例もあるぐらい。)

もう少し、観ていて印象になったポイントにいくつか触れておく。
Facebookを作っている本人マーク・ザッカーバーグにもFacebookというもがどう変わっていくか。可能性を見せるものか分かっていない。別にとことん、コンセプトや未来図が描けているわけではなく見えている範囲で面白いと思えたから作った。それが自分の想像を超えた成長、進化を遂げていくというのだ。実際、主人公が「ファッションと同じでFacebookは、完成しない。(変わり続ける。進化しつづける。)」これがそれを物語っていた。

Facebookの創世期にナップスターを開発したショーン・パーカーも絡んでいること自体知らなくて驚いたが、その彼のアドバイスで始めは、The FacebookとネーミングしていたのをTheをとってFacebookにした。「Theが無い方がクールだろう。」彼自身は、のちに薬物で逮捕されるが、彼の果たした役割も大きかった。ことが動くときは、不思議な連鎖が運命で決められていたかのように絡み合う。もし、あの時XXだったらこれは無かった。ということが無数にあるがこれもそういう神話性を感じさせる。不思議だ。

Facebookの巧妙なところは、やはり巧妙な排他性だろうか。社交が目的ではあるがだれとでも。というわけではなく心地よい相手としかコミュニティを作らない仕掛けが良く出来ている。ハーバード・コネクションというFacebookに似たコンセプトを考えている面々も出てくるがFacebookとの決定的な違いは、閉鎖性。ハーバード大学のドメインを持っている人間のみが操れて、優越感を感じたい。というのとは、Facebookのフレキシブルさは違う。閉鎖性は無くすが、排他性は残す。絶妙だ。

僕がCEOだ、なめるな!「I’m CEO, Bitch !」と名刺に書け。とショーン・パーカーがマーク・ザッカーバーグにアドバイスしたシーン。これも心に残った。いくらITリテラシーが高くて頭がよくても(東海岸の古い)社会では、子供扱い。投資話とかビジネスの本質のところには入れてもらえない。だから、文句を入れろ。ちょっと乱暴だがおもしろかった。おなじアメリカでも東海岸と西海岸とでは、ビジネス環境が大きく違うという描写も絶妙だった。こういう優秀な学生が起業することにたいして積極的支援をすることで有名なスタンフォード大。FacebookもGoogle同様、結局スタンフォード大付近に居を構えた。場所は、ビジネス環境の違いを生むんだな。とつくづく感じた。本社の場所を変えるだけですごいインパクトが生じる。その典型だろう。(すべては、人。その人との出会いを作るのは場所という環境要素が大きいのは間違いない。)

で、エンディングの部分で主人公がケンカした彼女エリカ・ブライトのFacebookページを眺めているシーンになる。なるほど、それがメッセージか。Facebookを作るきっかけを作った主人公の彼女。結局はエリカ・ブライトがFacebookを作った。作らせたんだな。新しいもの凄いものを作る優秀な男性も凄いが、その動機付け、エネルギーを引き出してしまう女性というのは、やはり凄い。とてつもなく凄い存在だ。
ではでは。

では、では。(シンガポールのホテルから発信。やっぱり暑い。シンガポール。良いことだ。)


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