音楽では明らかに「マジョリティ属性」な僕。 [よもやま話]

 マーケティングの基本戦略の一つにSTP(S:セグメンテーション→T:ターゲティング→P:ポジショニング)ってのがありますがセグメンテーションの難しさを思い出しました。って話を少しだけ。

 ざっくり表現すると、STP戦略って、
 「市場をどのように分類分けして(セグメンテーション)」
 「どのセグメントを狙って(ターゲティング)」
 「どのようにアプローチするか(ポジショニング)」
 ってことですが

 「市場を分類分け」をデーター分析する作業の立場で言い換えると、
 市場という存在をどのような「断面」でみるか、
 どのような「(評価・測定)軸」で整理するかってことになります。

 同じデータの塊も軸、断面を変えることで各サンプルが所属するグループに
 違いが出てきます。

 Xという断面で分けた時にAさんとBさんは赤組で CさんとDさんは白組だったのに
 Yという断面で分類するとAさんとDさんは黄組でBさんとCさんは緑組に分類されるみたいな。

随分昔になりますが、大量にある顧客データを使って顧客のセグメンテーションを「テクノロジーライフサイクル」的に分類してみよう。という議論をしました。

新しいテクノロジー、製品に対して顧客によって振る舞いが違う。その違いを軸に顧客データを
分類してみよう。ということです。

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 ある先輩が疑問を投げかけました。その時は僕もなんだかその先輩の投げかけにポカン。。。でしたが後になって自分なりに掴めた気がします。

 その「データの塊の素性」(どのように集めたデータなのか)と
   「用途」(どんなアクションのためのセグメンテーションなのか)を冷静に見つめた上で議論しないと意味をなさないのではないか?ということです。

 例えば、製品の購入に関する行動パターン(属性)には
新製品の発売間も無く購入する人もいれば、
評判が上がって流行して触手が動く人もいます

ただ、その購入行動の属性は 対象となる製品カテゴリーが違えば、同じ人でも違う振る舞いを
するのではないだろうか。
つまり、一般的なデータを単純に分析分類して使うことは出来ないのではないか。ということです。

こんなことがたとえになるのかわかりませんが、映画、映像に関してはかなり市場の評判が定る前に
手に取る方だと思うのですが、音楽に関しては全くのマジョリティ(流行してから聴いている)です。

そんな僕がこの週末に一気にのめり込んだのがKing Gnu.
はい、今回も全くもっって大衆市場化した状態でその良さに気づいたことになります。

まあ、良いではないですか。良いものは良い。知った、気づいた時点で心地よいものに触れられれば。
どの属性に属しているのが良いとか、優れているかというわけではないですからね。




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「やり切るコト」「振り切るコト」の重要性 [よもやま話]

 我ながら振り返ってみると中途半端で終わっているコト、いやヤメちゃってることだらけだなアと
思ってしまいます。

その時は「もうダメ限界」と思ったり「まあ、続きはあとで」って途中でヤメてることだらけって反省
してしまいます。問題は反省が活かされてないから繰り返してしまってるんでしょうけど。。。

柔らかめの話で言うと、映像の編集ですね。
撮影するだけして編集をしていない素材の多いこと。

クリエーターの方にも言われました。
「撮った映像は直ぐに編集するのが効率が良い」
「編集はその週の週末までに仕上げてしまうこと」

確かに、その通りですね。途中まで編集して週をまたいでしまった素材は
よほどの理由がないと「塩漬け」になってしまっています。
クライアントの存在するプロの映像制作者の方ならまだしも、編集したものの用途があやふやな
僕のような人間にはそうなってしまちゃいますよね。

映像編集を例にとってカジュアルに書き連ねてみましたが これって何事にも通じる話だと
しみじみ思ってます。そこまでやってそこでヤメちゃうんだ。本人以上に周りからみると
冷静に見えるおかげで 尚更はっきり見えてくるように思います。

「やり切るコト」の大切さ、有効性と言う点で違う例を挙げると
「新しいアイディアの提案」ですね。コンセプトやちょっとした生煮えのアイディアだけだと
振り向いてもくれなかった上司も具体的かつ荒削りであっても とりあえず「動いたり」「機能したり」「触れたり」するもので説明すると突然、反対意見から支持する側に豹変してしまう。
サービスやワークフローの改善などもその例に漏れないですね。部分的に見せたり説明しても
訴えたいポイントが伝わらない。いや理解しようとさえしてもらえなかったりします。

「精度の高い」部分最適を見せても傾いてくれないヒトたちも「荒削りな」ホールストーリーを具体的に見せて上げると途端にポジティブになってくれる。と言う体験を多くしてきました。


説得する相手を中心に対象に語ってみましたが、もう一つ難しいのはことにあたる側にも課題があると言うことです。

個人で「やり切る」のではなく、集団、グループで「振り切ろう」としている時です。
特にややこしいのは「目指すところ」や「フリ切りどころ」の設定が違う人たちが一緒にコトに
あたる時ですね。大規模なプロジェクトでなくても起きることです。

つまり「中途半端な状態」か「振り切ったところまできているか」の判断がそのメンバーの中で
判断、思いが変わることになるからです

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 まあ、誰の目からみても「中途半端だろ!」と思うケースも多々あります。関わった人たちの思いやゴール設定からしてもそれはやりきってないでしょ。と思われるケースです。
その場合の多くは「自分の都合を押し通す」もしくは、「そのテーマ、案件から逃げる」行為のいずれかに過ぎない。そう言うのは「論外」ですね。
 さらに、「進め方、取り組み内容、ゴール設定」に途中変更が自分たちの中であった際にも明言せずにうやむやな進め方で進めるなんて言うのはあり得ないですね。思いの違う相手が絡んでいるのであれば尚更で、その立場、考え方が違う人たちの立場で考えてコンセンサスを常にとるのが当たり前。人間として最も重要な部分なはずですから。あ〜つ、ここでの主題ではないのにツイツイ熱くなってしまいました。


ちょっと強引にまとめちゃいますが
同じ「やり切る」に関しても、一人で取り組む場合と、チーム、メンバー ましてや異なる組織が絡み合う状態では意味合い、難しさがが違ってきそうですね。


ではでは。
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ビジネスでもっとも大切なもの [よもやま話]

 そもそもビジネスという言葉が好きではないです。

なんか捉えどころがないというか実感、リアリティが薄れる気がするからです。

あえて言うならば「商売」という言葉の方が僕にとってはしっくりきます。

って話が 本日のテーマではありません。

 その時その時 思ったコトを背伸びせずに自分なりの思いを書き連ねていますが

今日もご多分にもれず 今、今日感じたコトを書いてみます。

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Freepik - jp.freepik.com によって作成された business-card 写真

 ビジネスにとってもっとも大切なもの とは。。。。

それは、「信用」だと思います。それしかない。ぐらいに大切なものだと思います。



 今日 信用していた仲間うちに裏切られました。確認しないと結論は出せませんが
少なくとも現時点では裏切りにあった気分です。

僕が裏切られただけならまだしも、パートナーとして一緒にプロジェクトをやっている人たちまで
騙していたようです。

本人たちはきっと、騙した、裏切ったつもりはない。というでしょう。

ハッキリとした態度、明言をせずにいただけだ。上手に立ち回っただけ。というかもしれません。
でも、相手が誤解をするような状況を自分たちの半ば保身のために放置したのは
明らかに裏切り行為です。

そんなことはうまく立ち回ったことにはなりません。

僕自身は、許せないという感情以上に悲しい気分です。

わかっていないようです。信用こそがすべてだということを。
彼らはこれで信用を失ったことになります。

彼らを通じてパートナーからは僕を含めた我々組織全体への信用をなくしたのです。

救いようがあるかないかは 今一度 深く会話をした後で判断しようと思います。

ではでは。



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「長篠の戦い」を経験しているのかもしれない [よもやま話]

 いまさらの出来事ではないのかもしれませんが

 こんなことをシミジミ感じていますって話を書き留めておこうとおもいます


 映像機材における変化が目まぐるしく起きています

以前だったらクレーンやドリー(レール)などが無いと到底撮影できなかった映像が

ドローンや電動ジンバルなどの出現によって低予算 少人数で可能になっています

(もちろん依然 クレーン レール じゃないと表現できない演出は多々あります
 だから決して無くなることは無いのも確かです
 それは「テクノロジーライフサイクル」[1]に照らし合わせても説明できそうです)


 クリエータの知人と話をしていてふっと思ったのです。

これってまるで「長篠の戦い」みたいじゃない?って
(これまさに「いまさら感」満載なんですが 僕はようやく気付きました)

「武田軍の騎馬隊」vs 「織田軍の鉄砲隊」

使う武器が変われば 戦術も戦略も変わる
兵士に要求されるスキルも大きくかわる
チーム編成 人数なども適切な形が違うモノになる
武器が変わるということは防具までも今までのものでは対応できなくなる

などなど

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いままでも幾度となくこのような変化・変革がおきてきた映像業界

遡れば
フィルム→ビデオ映像→ITテクノロジーの導入

そして現在は、ゲーム制作の技術なども広く導入されている


過去の変遷の際は「遠巻きに見ていた」傍観者にすぎなかったが
今回の変化においては当事者とはいかないまでももっと近い距離でこの変化を体感してみたいと
思っています。

「変化についてくのは大変」 という状況から「変化を作っている」
 そんな立場を目指したいところです

ではでは。

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[1]
キャズム

キャズム

  • 出版社/メーカー: 翔泳社
  • 発売日: 2002/01/23
  • メディア: 単行本



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第92回アカデミー賞 知らない僕にはこう見えた [よもやま話]

先日 アカデミー賞の発表がありました。

そもそもアカデミー賞とは何なのか? それもあまり知らずにそして考えるコトなく

誰が、どの作品が 受賞するのか。受賞したのか。

その程度の軽い興味で接しています。

そんな僕でも興味半分で予想もしてます。根拠らしいものもなくただただ好みでというか贔屓というやつでしょうか。

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だから僕の中で候補になるのは「自分が観た映画」に限られます。

今年なんらかの形でアカデミー賞ノミネートされた数ある映画の中で、

「アイリッシュマン」
「フォードvsフェラーリ」
「ジョーカー」
「パラサイト 半地下の家族」
「ロケットマン」
「ライオン・キング」
「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」


しか観てないコトになります。

予想通りだった受賞もあれば かなり意外な結果だった賞も多々ありました。

自分なりの結論は やはり いろんな要素が絡み合って受賞作品が決まっているんだろうな。というコトです。

本日2月11日現在で日本では未公開(2月14日公開予定)「1917 命をかけた伝令」は観ておこうと思います。




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学生時代の友人たちとの再会 [よもやま話]

久しぶりに大学生の頃の友人たちと集まりました。

その時に感じたこと 思ったことなどを書いておこうと思います。


「いくつになっても学生時代の友人に会うとその頃の感覚に戻る」って言いますが

ほんと そうですよね。今回もそういう思いに浸りました。


なぜ?そうなるのか。その当時のようになってしまうのか?
ちょっとだけ思いを巡らせてみました。

2つ理由があるように思いました。

人間は みんなそれぞれいくつもの役割を担っていますよね。それがそうさせる。

例えば 会社に行けば 会社の中での役割や期待されている人格のようなものがあり
家に帰れば家族の中での自分がある
子供からすれば「父親」であり、妻からすれば「夫」であり「異性」だったりする

接する相手 その時存在する空間 組織によって演ずる役割が変わり
それに応じた行動 発言をしているように思います

会社で見せる顔と家の中で家族に見せる表情が違うように。

つまり 学生の頃の友人たちと一緒にいる時 自分はその頃の自分であることを
期待されるしそれに応えようと自然に振舞ってしまうからだと思います。

それが心地よいし それを友人も自分も期待しているからだと思うのです

二つ目
集まる友人たちとの話題が共通のテーマである事

共通の話題にもっともなるのが共に過ごした時間の想い出の数々である事は自然な事ですよね

近況報告はもちろんするけど「あの頃は〇〇だったよな〜っ」とか「あいついつも△だった」とか。

過去の話で一番盛り上がりますよね。

「結局お互いに全然変わらないよな。」ってのがその時の期待値だったりもしている気がします。

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[フリー写真] 枯れ草と笑っているカップルでアハ体験 - GAHAG | 著作権フリー写真・イラスト素材集

先日も感じた事は全く同じで
「いくつになっても学生の頃の友人と会うと その頃のような感覚になる」でした。

ただ今回はそれ以上の発見 思いになり自分でも驚きました。

当時 僕が(勝手に)好きでたまらなかった女性の話題が友人の口から出てちょっとした会話をしたのですが
(その女性の事を忘れていたわけではなかったのですが)かなり僕の中でドキドキしました。

感覚が蘇るというか 30年も前の事でも当時の彼女への感情 記憶は変わらず残っているんだと思いました

自分の中にそんな蒼い感情があるという事に気づけたそんな日でした

(行動力だけは半端なかったなーってのも思い出しました。いろんな事にがんばれたもんなア おかげで当時はね。)

当時の自分が今の僕を見たらどう思うんだろうか。
(きっと「もっとヤレるだろ!情けない頑張れよ」って感じだと思います)

そして、今の自分が当時の自分に語り掛けられるとしたらどんな言葉を語るんだろうか。
(「中途半端で終わらせるな。白黒つけて後悔しないように突き抜けろよ」って感じかな。。)

そんな事を思い巡らせるキッカケになりました。

ではでは。


こんなカッコイイ話じゃないんだよな〜っ。僕の場合は。。



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