大和魂 なるほど。胸を張って頑張ろう!日本。Mark Williams [新聞]

東日本大震災以来、海外からの日本人への評価が上がっている。そう言う話しのひとつをここに書き残して置きたい。

英国リーズ大教授(日本学) マーク・ウィリアムズ
Leeds University, England Mark Williams

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英国の新聞が震災直後、煙の上がる瓦礫の中を通勤するサラリーマンの写真を載せて、大変注目された。日本にしかあり得ない光景だ。こんな時会社に出るなんて欧州では考えられない。
私はオックスフォード大で源氏物語を学び、若い頃群馬で高校の英語の教師をした。いま英国で日本語を教えているが、友人たちから「福島の原発労働者はなぜ逃げないのか」と良くたづねられる。
英語には、「Looking after number one」という言いまわしがある。危機にはまず自分の身の安全確保を、という意味だ。もし自分の国で同じ事が起きたらどうなるだろうか。放射能と闘うために自分は居残るだろうか。日本からの報道はそういう事も深く考えさせた。
こちらの人々が強く抱いた日本のイメージは何よりストイックだということ。被害者は泣きわめかず助け合い、社会はすばやく組織を作って救援に動いた。近年、大災害に見舞われた他の国々とは違う。
 英国メディアは背景として武士道の伝統等を紹介したが、私は大和魂が存在していると思う。その現れとして、福島の原発労働者の殉教者を思わせるような姿もあるではないか。
 ただ、東京電力の社長はもっとリーダーシップを示せば良かった。機器の際は誰かが責任をもって
、はっきり物を言わなくては。日本は下から積み上げるコンセンサス社会だからかもしれないが、決定も発表も遅く、世界が「東電のいうこと怪しい」と思うようになったのは残念だ。
 震災前、世界の日本に対するイメージは矛盾するものが混在していた。一つは先の大戦によるもので、軍は残虐で捕虜を虐待し、国は戦後もなかなか謝罪しないというマイナスの面。もう一つはソニーやトヨタに代表される、素晴らしい技術や知性というプラスの面。勤勉で忠誠心も厚い。
 震災は、こうしたプラスの面にハイライトを当てた。日本は天然資源が乏しい。人間そのものが資源だ。その日本人への信頼感が高まったことは、日本が立ち直って国際社会で生きて行く上で大切な支えになるだろう。
 欧州の大学の中には日本にいる留学生に出国を勧めたところもある。私のリーズ大からも29人が留学中だが、帰したくない。日本人と一緒にがまんし、一緒に立ち直りを経験してきてほしい。
 実は、人災前に私は秋田の国際教養大から、副学長にと請われていた。赴任の準備をしている。9月の学期から、ぜひ日本の学生と語り合いたい。(構成・橋本聡)
(朝日新聞 2011年4月9日付け 私の視点より)

誤解も覚悟で書くが、被災された方々、被災地に近いひとたち程、この日本への評価を高めている。ような気がする。そこから離れれば離れるだけ少しずつ違う様子も見えてくる。先日から話題になった買い占めなどがその例だ。まだ、これは許せるとしてなんだか納得感というか実感として湧いてこないのが政治家の動き。どうも切迫感がない。まだまだ足りない。こんな時だからこそ、国民はみんな全てにおいて「肝要であろうとしている。」政治にたいしても、政治家に対しても肝要であろうとしている。なのに、どうなっているのだろう。与党も野党も無い。というのであれば連立政権を立てるなりして物事をぱっぱと決めて勧めて欲しい。いまなら斬新と思える事も躊躇無く出来る。(当然、中長期視点でのビジョンも忘れないで欲しい。)ほんの一例に過ぎないが政治家による義援金などもそうだ。政治家は、寄付行為が禁止されているので1人300万円の歳費を削減するとのこと。でも、これって公費を国に返還するという物に過ぎない。私費を義援金として提出するわけではない。理解に苦しむ。そんなの特別法案をパットだしてこういう有事の際は、こういう事に対して議員も寄付出来るというふうにスベキだ。。議員によっては、大変な資産家も居る。そういこともすぐに打ち出せないなんて残念だ。4月11日までに対策委員会みたいのを発足すると言っていたが、サマータイムなどの導入も積極的に推進してほしい。東日本だけでなく、日本全国的に肝要になっている。花見みの自粛ムードも全国まで広がっているという。それだけ日本は、ひとつになろうとしているのだ。
 政治家は、明確なビジョンをもってリーダーシップを発揮してほしい。いまならそれが出来るのだ。

ではでは。
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柳井正の「希望を持とう」”自分に「期待」しよう”。朝日新聞(3月26日)。 [新聞]

勝間さんのコラムは、朝日新聞のサイトで読めるから助かる。http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/  是非、柳井さんのこのコラムも掲載してほしいという意図で今週も。とここ約1ヶ月程度この記事を転記し続けてきたが、東日本大震災で2週間休刊。で、今週久しぶりに柳井さんの記事、勝間さんのコラムを読めると思ったら、今回で両方のコラムは最終回。残念。
バックナンバー含めてどこかのサイトに柳井さんの希望を持とう。を掲載してほしいものだ。

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”自分に「期待」しよう”
 今回でこのコラムは終わるが、私が若い人に一番伝えたいのは、人生は希望を持たなければ生きて行けない、ということだ。希望とは、言葉を変えれば、理想や人のため社会のためという崇高な思い、のことだ。「希望なんて持てる状況ではない」という若者もいるかもしれない。だが、そういう人でさえ、毎日、食べる事ができ、生きている。それで十分だ。どんなに苦しくても、希望を抱く事は出来る。
 自分の心の内側ばかりを見つめるのはやめた方がいい。私も大学時代は、本当の自分とは何か、などと日々悩んでいた。だが、社会に出ると、毎日、「会社がつぶれる」「家族や社員が路頭の迷う」といった不安にさらされ続けた。そこで、気づいた。自分の内側を見つめていても、結局何もうまれないし、解決も出来ない。
 最近は「頑張らない生き方」をすすめる本が巷ににあるえている。でも、頑張らない人生に価値がない、と私は思う。「生きる」ことは、すなわち「頑張る」ということだと信じるからだ。
 希望を持つには、人生は自分が主役だという信念、自分に「期待」するという姿勢が不可欠だ。「俺はつまらない人間だから」ではなく、「自分はこんなことができるのではないか」と自分自身に期待する。人より少しでも得意な部分を必死で探し、一生懸命に磨く。そうすれば、必ず活路は開ける。
 他人は誰もあなたに期待していないかもしれない。だからこそ、最後の自分の味方は自分でなければならない。
(柳井正 ファーストリテイリング会長兼社長)

良く妻に、なんであなたはそんなにポジティブシンキングなの?その前向きかつ自信家なところが不思議でならない。と笑い話半分で言う事があるが。たしかに、僕は自分自身に期待している。可能性を信じている。同時に世間はどのように僕を見ているかあまり気にする事が無い。柳井さんのように結果はまったく出せていないが、自分が主役の人生をとことん頑張ってみたいと思う。買わない宝くじは当たらない。ってところだろうか。

柳井さん、コラム連載ありがとうございました。勉強になったし、元気づけられることが多かったです!

ではでは。

「磯田道史の この人、その言葉 」 細川重賢(1721~1785) (朝日新聞:3月26日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。と思っていたらこれも今回で最終回。残念です。

「生死を民と共に致すべき心得ももっともに候」細川重賢(1721~1785)
 細川重賢(しげかた)は熊本藩6代藩主。殿様の子に生まれたが5男。部屋住み時代が長く苦労した。金がなく羽織を質屋にいれたり、庭で小鳥を捕まえて食べようとしたが醤油がなくて家来に借りたりした事もある。

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 江戸中期の名君といえば米沢藩の上杉鷹山(ようざん)が有名だが、重賢は鷹山の政治の師匠といっていい。鷹山は親子ほど年齢がはなれた重賢を敬愛。
重賢が始めた熊本藩の改革手法に学び米沢藩を改革した(磯田道史「藩政改革の伝播」「日本研究」第40集)。
 江戸も中期になると、どこの藩も財政難。そのなかで、いち早く大胆な改革に手をつけたのが重賢率いる熊本藩だった。結果、熊本藩では年貢収入が増加。「ある年などは7カ所ある藩の蔵屋敷に年貢が入りきらずや屋外に垣根を結び(米俵を)大山と積んだ」(大村荘助(しょうすけ)「肥後経済録」)これをみて諸藩はうらやましがった。
 なかでも当時5万石に領地を減らされていた美作国津山藩は財政が破綻状態。なんとかしたいと藩主松平康哉(やすちか)自らが重賢に教えを請うた。すると、重賢は書状をしたため懇切丁寧に政治心得を説いた。「鷹狩りのついでに民の憂苦を察する位では意味がない。自分から民に近寄って見届けるくらいでないと視察は役にたたない。士民に心を配り、その暮らしが塗炭に落ちないように昼夜心がけるのが肝要」といい、「生死を民と共にする心」を政治の心得として説いた。
 自分の後継ぎには「国家を治め身を治めるのも、みな金銀米銭の取り扱いようから万物が起きる。大名とて、これを家臣任せにするな」(「肥後候訓誡(くんかい)書」とアドバイスしている。

(磯田道史 歴史学者•茨城大准教授)

現場主義。と口ではいっているが掛け声だけの上司を思い出した。本当に現場に入って、自分んでどっぷり。それと平行して経営リテラシーを磨く。この両方が出来ないトップは何時の時代も経営者としてそぐわなないのだ。

磯田さん、また別の機会にコラムや本で学ばさせていただきます。コラム連載ありがとうございました。

ではでは。
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原発事故報道 ”専門用語が不安を増幅する” 池上彰 [新聞]

 早いもので、東日本大震災発生から2週間以上経った。その間にもいろいろあった。とくに被災状況の情報や、メディアを通しての情報の中心も徐々に変化してきた。(地震の揺れの大きさ→津波被害状況→原発事故→原発からの放射能拡散による影響→復旧状況などのように)そのなかで感じたのが、テレビや新聞などを通じて出てくる情報による不安の増幅である。
 実際僕も詳細までは理解しきっていないが、どうも不安を増長する方向での報道が多いように感じる。その背景を池上彰さんが見事にコラムにしているのを先日見かけた。

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■池上彰の新聞ななめ読み 原発事故報道 ”専門用語が不安を増幅する”

 「福島原発で爆発」ーー3月13日の朝刊各紙は、1面トップに巨大な活字を使って、こう報じました。
 実に衝撃的な出来事でした。「安全」と言われてきた原子力発電所で爆発がおきたのですから、もし私が新聞社で紙面の見出しを考える担当者だったとしても、おそらくこの見出しを掲げたと思います。
 しかし、この見出しをみて、原爆のような爆発が起きたと勘違いした人も多かったようです。
 翌14日夕刊各紙の1面の見出しは、「3号機も水素爆発」。「水素爆発」という文字をみて、今度は水爆(水素爆弾)が爆発したかのような誤解をする人も現れました。

 最初の「福島原発で爆発」という見出しは、いまになってみれば、「福島原発の建屋で爆発」という表現の方がよかったのではないかと思います。原子炉が爆発したのではなく、原子炉の格納容器をおさめている建屋と呼ばれる建物のなかで、充満した水素が爆発したのですから。
 専門家や新聞記者たちは、原子炉が原爆のように爆発する事など原理的にありえないとわかっていますから、「原発で爆発」という見出しを安易に付けてしまいますが、知識のない一般の人は、不安をかき立てられてしまうのです。
 専門家と一般の人との知識のギャップが不安を呼んでしまう。それが、今回の事故報道の教訓の一つではないでしょうか。
 てれびに出演して解説する専門家たちは、「原発で爆発」と「原子爆弾の爆発」が異なることを知っていますから、わざわざ「これは原爆の爆発ではありません」などと言ってくれません。とこrが、視聴者の側は勘違いしていますから、「専門家が原爆でないと明言しないのは、隠しているのではないか」という邪推が生まれがちになります。
 最初の原爆が、建屋内に充満した水素が爆発した「水素爆発」であることがわかっても、今度は「水蒸気爆発のおそれがある」という専門家の解説を聞くと、視聴者は再び困惑します。水素爆発と酸い女機爆発の違いが分からないのです。

 15日になって、3号機付近で1時間あたり400ミリシーベルトの放射線量を記録すると、毎日新聞の夕刊1面は、「高密度放射能漏れ」を見出しにしました。一方、読売新聞は、「超高濃度放射能が拡散」でした。
 400ミリシーベルトは、「高濃度」なのか、「超高濃度」なのか。同じ日の朝日新聞は、「400ミリシーベルトは、緊急時の作業員でも15分間しかその場にいられない数値にあたる」と解説しています。「超高濃度」という表現だと、その場にいた人は即死するかのような印象を受けますが、朝日新聞の解説を読めば、「超」ではなく「高濃度」の表現がふさわしいように見受けられます。この数値が「超高濃度」だったら、もっと高濃度になった場合、どんな表現にすればいいのでしょうか。
 この日の朝日新聞の本文は、比較的冷静な筆致で書かれていますが、夕刊一面トップの見出しは、「福島第一制御困難」です。これでは読者は絶望的な思いになりませんか?「福島第一制御難航」程度の表現でよかったのではないでしょうか。
 今回の事故で頻出した「被曝(ひばく)」という言葉も誤解を生みやすいものでした。耳で聞いて「ひばく」だと、つい「被爆(ひばく)」の文字を想起するからです。「被曝」は、「放射線に曝された(さらされた)」という意味です。被曝という専門用語を使わずに、「放射線を浴びた」と平易に書いた方が、誤解が少なくいのではないでしょうか。
 専門家が難解な言葉を使うため、一般の人は理解出来ずに不安が増幅する。これではいけません。専門用語をわかりやすく”翻訳”することも、新聞やテレビの役割なのです。
(朝日新聞 2011年3月25日(金)より)

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 なかなか、含蓄があるコラムだ。我々製造業に携わっていて製品をお客様にお届けする際に商品説明(広告や店頭での紹介)をするが、その際も専門家チックに説明してしまい商品の良さとかお客様にちゃんと理解いただけていない。こういうことを良く経験している。今回の池上彰さんのコメントもそうだが、平易な言葉で分かりやすく、誤解が無いように伝えることは意外と皆苦手だ。
 パット思いつくところで上手だな。といつも感心させられるのがノーベル化学賞受賞者の田中耕一さん。実に分かりやすい話のされ方をする。ノーベル賞を受賞するほどの方だから物事を究極に突き詰めたかたは皆、田中さんのような解説が出来る。という訳でもなさそう。あくまで、そのご本人の工夫なんだろうと思う。

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 もう一人、まことに上手だとおもうのが”ジャパネットたかた”の高田明社長。分かって欲しいポイント、商品の特徴をお客様の視点で見事に言葉にして表現している。

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 横文字、専門用語の羅列で現象を説明している学生に西澤潤一(東北大学学長)が、横文字ならべて説明していれば分かったような気になるかもしれないが本当は理解出来ていないことが多い。もっと平易な言葉で説明してみなさい。と研究室の学生にアドバイスされているのを見たことがある。

地震にまつわる話だったが自分の処し方にも感じるものが多いテーマだ。

ではでは。

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「磯田道史の この人、その言葉 」 勝海舟(1823~1899) (朝日新聞:3月12日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。という思いで転機します。これ繰り返しコメント付けます。

「行政改革といふことは、よく気をつけないと弱い者いぢめになるヨ」勝海舟(1823~1899)

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 勝海舟は、「世の中に無神経ほど強いものはない。」庭先の蜻蛉(とんぼ)を指差し「あの蜻蛉をごらん。尻尾を切っても平気で飛んで行くではないか」といった。白刃のなかを切り抜け、幕府の始末をつける大仕事をした彼は、難局にあたる時の無神経の大切さを説いた。「人間は難事に当たってびくとも動かぬ度胸が無くては、とても大事を負担することは出来ない。今の奴らは、ややもすれば、智慧をもって、一時逃れに難関を切り抜けようとするけれども、智慧には尽きる時があるから、それは到底無益だ。」智慧より度胸だと勝はいう。(「氷川清話」)

 政治とは何か。<天下の大勢を達観し、事局の大体を明察して、万事その機先を制するのが政治の本体だ....この大本さへ定まれば、小策などはどうでもよいのサ。>この言葉からすれば、おそらく勝は議員→公務員→国民の順で負担を求めるのではないか。偉い順に政治家や役人から改革を迫るのが
彼の思想だ。

 「政治の善悪は、みんな人に在るので、決して法に在るのではない...人物が出なければ、世の中は到底治まらない。」と彼はいう。そんな政治家は何処にいるのか。<人材などは騒がなくても、眼玉一つで何処にでも居るヨ。>これも勝の言葉である。探すのは我々だ。

(磯田道史 歴史学者•茨城大准教授)

なにやら、柳井正さんのコラムに相通じる。凄く共感を憶えるコラムだった。
ではでは。
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柳井正の「希望を持とう」”本丸は公務員改革”。朝日新聞(3月12日)。 [新聞]

勝間さんのコラムは、朝日新聞のサイトで読めるから助かる。http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/  是非、柳井さんのこのコラムも掲載してほしいという意図で今週も。ひきつづき。
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”本丸は公務員改革”
 民主党の衆議院16人が回は離脱表明するなど、最近の政局の話題には、うんざりしている。おもしろおかしく報じるマスコミも問題だが、そこで行われているのは政治ではなく、内輪もめ、あるいは、ただの権力闘争に過ぎない。あきれるばかり、というのが国民の実感なのではないか。

 一方で、肝心な政策といえば、子ども手当や高速道路の無料化などバラマキが先行し、歳出削減は進んでいない。消費税の税率アップを論議するのはいい。ただ、財政再建を進めるのは、無駄だらけの行政を効率化することを真剣に考えてもらいたい。

 効率化の本丸は、公務員の人件費削減だと思う。だが、選挙を恐れているのか、どの政党も、ここには本気でメスを入れない。国会議員定数の削減で削れるお金なんて微々たる額。議員には、そんなことより自らの「給料」に見合う仕事をすることをかんがえろ、と言いたくなる。

 そうしたパフォーマンスよりも、公務員の給料を思い切って3割減らし、今の2倍仕事をしてもらうような仕組みを考えて欲しい。民間では、ここ数年で2割、3割、給与カットされている企業がざらにある。民間よりも身分が安定している公務員が、民間より高い給与をもらうのは理屈にあわない。

 今の民主党は、バラマキで国民を欺いているだけだ。痛み止めだけ与え、手術など本当に効果のある治療は放棄している。そんな「やぶ医者」には、いつまでも政権を任せておけない。
(柳井正 ファーストリテイリング会長兼社長)

本当にツクヅク思う。しかしとにかく、いまは東北関東大地震の復旧対策に全力を出して欲しい。ここで我が日本の地力を全国民の総力をもって見せたい。全国民の目的、目標(プライオリティ)は明確だ。コンセンサスは、容易にとれる。是非、その陣頭指揮をシッカリとってほしい。

ではでは。

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「磯田道史の この人、その言葉 」 山岡鉄舟(1836~1888) (朝日新聞:3月5日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。という思いで転機します。これ繰り返しコメント付けます。

「困難も人の所為だと思ふとたまらぬが。自分の修養だと思へば自然楽地のあるものだ」山岡鉄舟(1836~1888)

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 人生は冗談のようなものでもあり冗談のようでもない。その微妙な間にある真摯な冗談として存在しているのかもしれない。山岡鉄舟の生涯をみるとどうしても、そう思える。

 11歳の時、鉄舟(鉄太郎)は飛騨高山宗猷寺(そうゆうじ)の大鐘を眺めていた。和尚が言った。「鉄さん。その鐘が欲しけりゃあげましょう。持って行きなさい。」鉄舟は「ありがとう」と一礼。帰って父に「宗猷寺の大鐘をもらいました」と告げた。父は「では取ってきなさい」と笑った。鉄舟は小躍り。若い衆を連れて寺に行き、大鐘を降ろしはじめた。和尚は驚愕。前言は冗談と言ってわびたが、鉄舟少年はきかない。父がよばれて説得し、ようやく落着した。

 鉄舟は少年期に父母を失った。末弟はわずか2歳。この弟のためにも、もらい乳をして歩いた。衣服は常に破れがちで、「ボロ鉄」のあだ名がついた。このあたりから達観した。修正、無欲。剣術と禅のみ。行者のごとく金銭に頓着がない。ために江戸無血開城を成功させ、明治天皇の侍従。子爵になっても家計は火の車。しかし本人は、平然。「馬車なで、わが乗るものは、火の車、かけるとる鬼の、絶えゆる間もなし」などののんきな狂歌を作った。この貧乏は人に「遣る。盗られる。義理張る」でこしらえた借金。冒頭の言葉は、義弟に26万円の債務を背負わされ、月給350円中250円を十何年も差し押さえられた時にいったもの。(「鉄舟居士の真面目」)

 幕府崩壊時、彼は安倍川餅108個、ゆで卵97個を食べてみた。胃がんで死ぬ時「お医者さん、胃癌胃癌と申せども、いかん中にも、よいとこもあり」とうれしそうに医者に詠んでみせたという。
(磯田道史 歴史学者・茨城大准教授)

『鉄舟二十訓』
一、 嘘を言うな。
二、 君の御恩を忘れるな。
三、 父母の御恩を忘れるな。
四、 師の御恩を忘れるな。
五、 人の恩を忘れるな。
六、 神仏と年長者を粗末にしてはならない。
七、 幼者を侮るな。
八、 自分の欲しないことを人に求めるな。
九、 腹を立てるのは道に合ったことではない。
十、 何事につけても人の不幸を喜んではならない。
十一、力のかぎり善くなるように努力せよ。
十二、他人のことを考えないで、自分の都合のよいことばかりしてはならない。
十三、食事のたびに農民の辛苦を思え、すべて草木土石でも粗末にしてはならない。
十四、ことさらお洒落をしたり、うわべを繕うのは、わが心に濁りあると思え。
十五、礼儀を乱してはいけない。
十六、いつ誰に対しても客人に接する心がけであれ。
十七、自分の知らないことは、誰でも師と思って教えを受けろ。
十八、学問や技芸は富や名声を得るためにするのではない。
    己を磨くためにあると心得よ。
十九、人にはすべて得手、不得手がある。
    不得手をみて一概に人を捨て、笑ってはいけない。
二十、己の善行を誇り顔に人に報せるな。
    我が行いはすべてが我が心に恥じぬために努力するものと思え。

人間の大きさとはこういう事をいうのだろうか。今の時代、「清貧」という言葉は死語なのだろうか。

ではでは。
タグ:山岡鉄舟
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柳井正の「希望を持とう」”若い上司の勘違い”。朝日新聞(3月5日)。 [新聞]

勝間さんのコラムは、朝日新聞のサイトで読めるから助かる。http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/  是非、柳井さんのこのコラムも掲載してほしいという意図で今週も。ひきつづき。

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”若い上司の勘違い”
 若くして管理職になったような、いわゆる出世の早い人にみられる二つの勘違いがある。

 一つは、自分自身の成果を出せばいい、と思っていることだ。これは、「いい大学」を出た「エリート」に多い。上司になれば、自分で何かをなすことよりも、部下に実績をつくらせたり、チームとして結果を出したりすることが求められる。会社というものは、何十人、何百人、何千人の社員が一致団協力し、それぞれの強みを活かして働くからこを、成果が出せる。少しくらい仕事が出来ても、一人で成し遂げられることは限られている。そんな単純な原理が分かっていない。
 
 もう一つは、正しい指示さえすれば、人が動くと思っていることだ。人を動かすには、何十回、何百回、あるいは何千回と言い続ける必要がある。言うだけではダメ。脅して、すかして、褒めて、あの手この手で説得する。そのとき大事なのは、あなたを認めている、という姿勢を、部下に先ず示すことだ。

 だれにだって、「この人は時分のことをきちんと見て、評価してくれている」と思わなければ、動こうとはしない。言葉や態度でそういうメッセージを伝えることが大事だ。上司と部下が、お互いの仕事上の強みや弱みを理解して、どうしたら成果を上げられるかを常に議論する必要がある。

 人は、理論や理屈では動かない。そして、上司も部下も思いを一つにしなければ、良い仕事は出来ない。
(ファーストリティング会長兼社長 柳井正)

読んだ後の感想:
なんだか自分にも当てはまってしまう今回のこの記事。複雑な心境。「言うだけではダメ。脅して、すかして、褒めて、あの手この手で説得する。」か。。。僕はゼロ点かもしれない。上司に対してもこの姿勢は必要なのでしょうがどうも辛く当たってしまう。

紺野登さん(多摩大学大学院 教授)から聞いた、今日本の企業を観察すると、会社には2種類の人間しかいない。1つは、とにかく現場で頑張る人。腕まくりして現場に入って奮闘するタイプ.ただ悲しいかな(勉強していなくて経営リテラシーが低い。)もう一つのタイプは、勉強はするが何もしないタイプ。僕の理想は、この間を行ったり来たりすることなのだが。自分で言うのも多少勉強しているつもりだ。そういう僕から見ると現場(&地位)を与えられているが経営リテラシーが低いのが眼についてたまらない上司たちにいら立ちを覚える。上手に説得する。それが出来ないと行けないのだろうがどうもそれが出来ない。小馬鹿にしてしまっている気がする。若かりし時に統括課長をやった時には、能力不足の部下を叱咤して失敗。そして今は、勉強不足の上司たちに上手くアプローチできていない。またまた、反省だ。こういう経験も実学として取り入れたい。喩え今、役に立たなくても(立たせたいが組織というものはそんなに何度もチャンスをくれない。流れに乗れないとNGなのだ。)将来、コンサルティングや大学講師などをやるときに役立てたい。(なれるかな。。。こんなんで。)

ではでは。
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「磯田道史の この人、その言葉 」 三浦梅園(1723~1789) (朝日新聞:2月26日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。という思いで転機します。

「理屈と道理のへだたりあり。理屈はよきものにあらず。」三浦梅園(1723~1789)

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富士の如く思想家にもただ一人そびえたつ者がいる。三浦梅園(みうらばいえん)は日本人の殆どが迷信や陰陽五行説にとらわれていたとき、西洋近代の科学哲学にひけをとらない思考を、大分の寒村で繰り返していた。奇跡のような人物である。

幼時から、ただ者でなかった。思考がきわめて論理的。家に近江八景の屏風があり、夜雨の情景が描かれているのをみて「暗黒の夜、こんなに雨は見えない。風情としてはいいが風景としては不可だ」と言った。これが「八歳」。しかし家には字引がない。師友もいない。難解な文字に出会うと紙に記し、数十字たまると遠いお寺まで月に数回、字引を見せてもらいにいった。十六、七歳になりようやく学者に学んだ。

彼は、人々が当たり前と思っていることに決してだまされない子だった。「疑い怪しむべきは変にあらずして常の事なり」といい「自分の垂髪より触る所、総て疑」い、寝食忘れて天地宇宙の仕組みを考え続けた。「石を手に持ちて手を放せば地に落ちるは、いかなる故ぞ」と問えば、普通の人間は「重きによりて落ちる也。知れたる事」と思考が停止する。しかし彼は徹底して疑い重力・引力の存在にまで思いが及んだ。ついには西洋の天文学も学び、彼は江戸中期の日本で宇宙と世界を最も理解した人物になっていた。

彼は人間が作った理屈と自然の道理は違うといった。親が羊を盗み、その子に、たとえ親でも悪は悪、訴えろというのは理屈。親の悪事を子が隠したくなるのは道理。両者は違う。梅園は人間の作った理屈にとらわれない道理の探究を重視。この国の思想を大きく合理主義の方向にもって行った。(歴史学者・茨城大准教授)

カント哲学に嵌りつつある僕にとっても刺激的な記事だった。この記事に気付かせてくれた妻にも礼をいいたい。

どうやら妻は、磯田道史に興味があって彼の連載を読んでいるらしい。
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そのきっかけがこれ。
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ではでは。
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柳井正の「希望を持とう」をサイト上にも掲載してほしい。朝日新聞(2月26日)。 [新聞]

勝間さんのコラムは、朝日新聞のサイトで読めるから助かる。http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/  是非、柳井さんのこのコラムも掲載してほしいという意図で今週も。

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昨年末、菅直人首相とお会いする機会があった。政治家との会見などは遠慮してきたが、親しい人を通じて「どうしても」という話だった。せっかくの機会だと思い、財政再建、そして環太平洋経済連携協定(TPP)への参加の必要性を訴えた。だが、首相からは、やるともやらないとも、明確な返事はなかった。
財政再建の緊急の課題てある事は繰り返さないが、TPPへの参加も、日本の将来を左右する選択だと考えている。TPPは、亜細亜太平洋地域がEUのように経済的結び付きを深める可能性を秘めている。その輪にはいれなければ、日本の衰退は間違いなく加速する。農業が課題というが、TPPに参加しても外国産の食糧がどんどん入ってきて破壊するなんて事は考えがたい。むしろ、保護政策から脱却し、新しい産業として自立し、生まれ変わる好機と捉えたほうが良い。
首相は、ここでリーダーシップを発揮し、政治生命をかけて決断すべきだ。それこそが首相に与えられた歴史的役割だと思う。ここで逡巡して流れを止めるようなことがあれば、間違いなく後世に禍根を残すだろう。
繰り返すが、今の日本に最も必要なのは、「財政健全化」と「開国」だ。その二つができないのなら、権力を保持する理由はない。消費税もTPPも、「検討する」という言葉は聞き飽きた。政治家の「検討」は、「しない」と同義でしかない。実行出来ない政治家に存在意義はない。実行あるのみだ。

なんだか、読んでいて思った。僕のなかでは経営者とは、理屈ではなく理念をもってこれをやりたい。とおもって行動を起こす人なのだが、我が社にその「やりたい(Want)」を持った真の経営者が不在だ。マネージメントの「(部下はこう)すべきだ(Should)」の人が経営判断をしている。これでは真の復活は遂げられない。経営者としての経営を望む。さもなくば去るのみ。


ではでは。
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