「磯田道史の この人、その言葉 」 三浦梅園(1723~1789) (朝日新聞:2月26日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。という思いで転機します。

「理屈と道理のへだたりあり。理屈はよきものにあらず。」三浦梅園(1723~1789)

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富士の如く思想家にもただ一人そびえたつ者がいる。三浦梅園(みうらばいえん)は日本人の殆どが迷信や陰陽五行説にとらわれていたとき、西洋近代の科学哲学にひけをとらない思考を、大分の寒村で繰り返していた。奇跡のような人物である。

幼時から、ただ者でなかった。思考がきわめて論理的。家に近江八景の屏風があり、夜雨の情景が描かれているのをみて「暗黒の夜、こんなに雨は見えない。風情としてはいいが風景としては不可だ」と言った。これが「八歳」。しかし家には字引がない。師友もいない。難解な文字に出会うと紙に記し、数十字たまると遠いお寺まで月に数回、字引を見せてもらいにいった。十六、七歳になりようやく学者に学んだ。

彼は、人々が当たり前と思っていることに決してだまされない子だった。「疑い怪しむべきは変にあらずして常の事なり」といい「自分の垂髪より触る所、総て疑」い、寝食忘れて天地宇宙の仕組みを考え続けた。「石を手に持ちて手を放せば地に落ちるは、いかなる故ぞ」と問えば、普通の人間は「重きによりて落ちる也。知れたる事」と思考が停止する。しかし彼は徹底して疑い重力・引力の存在にまで思いが及んだ。ついには西洋の天文学も学び、彼は江戸中期の日本で宇宙と世界を最も理解した人物になっていた。

彼は人間が作った理屈と自然の道理は違うといった。親が羊を盗み、その子に、たとえ親でも悪は悪、訴えろというのは理屈。親の悪事を子が隠したくなるのは道理。両者は違う。梅園は人間の作った理屈にとらわれない道理の探究を重視。この国の思想を大きく合理主義の方向にもって行った。(歴史学者・茨城大准教授)

カント哲学に嵌りつつある僕にとっても刺激的な記事だった。この記事に気付かせてくれた妻にも礼をいいたい。

どうやら妻は、磯田道史に興味があって彼の連載を読んでいるらしい。
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そのきっかけがこれ。
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ではでは。
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