「磯田道史の この人、その言葉 」 山岡鉄舟(1836~1888) (朝日新聞:3月5日) これもWeb掲載お願いします。 [新聞]

柳井正さんの掲載に加えて、この磯田さんの掲載もWeb連載してほしい。という思いで転機します。これ繰り返しコメント付けます。

「困難も人の所為だと思ふとたまらぬが。自分の修養だと思へば自然楽地のあるものだ」山岡鉄舟(1836~1888)

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 人生は冗談のようなものでもあり冗談のようでもない。その微妙な間にある真摯な冗談として存在しているのかもしれない。山岡鉄舟の生涯をみるとどうしても、そう思える。

 11歳の時、鉄舟(鉄太郎)は飛騨高山宗猷寺(そうゆうじ)の大鐘を眺めていた。和尚が言った。「鉄さん。その鐘が欲しけりゃあげましょう。持って行きなさい。」鉄舟は「ありがとう」と一礼。帰って父に「宗猷寺の大鐘をもらいました」と告げた。父は「では取ってきなさい」と笑った。鉄舟は小躍り。若い衆を連れて寺に行き、大鐘を降ろしはじめた。和尚は驚愕。前言は冗談と言ってわびたが、鉄舟少年はきかない。父がよばれて説得し、ようやく落着した。

 鉄舟は少年期に父母を失った。末弟はわずか2歳。この弟のためにも、もらい乳をして歩いた。衣服は常に破れがちで、「ボロ鉄」のあだ名がついた。このあたりから達観した。修正、無欲。剣術と禅のみ。行者のごとく金銭に頓着がない。ために江戸無血開城を成功させ、明治天皇の侍従。子爵になっても家計は火の車。しかし本人は、平然。「馬車なで、わが乗るものは、火の車、かけるとる鬼の、絶えゆる間もなし」などののんきな狂歌を作った。この貧乏は人に「遣る。盗られる。義理張る」でこしらえた借金。冒頭の言葉は、義弟に26万円の債務を背負わされ、月給350円中250円を十何年も差し押さえられた時にいったもの。(「鉄舟居士の真面目」)

 幕府崩壊時、彼は安倍川餅108個、ゆで卵97個を食べてみた。胃がんで死ぬ時「お医者さん、胃癌胃癌と申せども、いかん中にも、よいとこもあり」とうれしそうに医者に詠んでみせたという。
(磯田道史 歴史学者・茨城大准教授)

『鉄舟二十訓』
一、 嘘を言うな。
二、 君の御恩を忘れるな。
三、 父母の御恩を忘れるな。
四、 師の御恩を忘れるな。
五、 人の恩を忘れるな。
六、 神仏と年長者を粗末にしてはならない。
七、 幼者を侮るな。
八、 自分の欲しないことを人に求めるな。
九、 腹を立てるのは道に合ったことではない。
十、 何事につけても人の不幸を喜んではならない。
十一、力のかぎり善くなるように努力せよ。
十二、他人のことを考えないで、自分の都合のよいことばかりしてはならない。
十三、食事のたびに農民の辛苦を思え、すべて草木土石でも粗末にしてはならない。
十四、ことさらお洒落をしたり、うわべを繕うのは、わが心に濁りあると思え。
十五、礼儀を乱してはいけない。
十六、いつ誰に対しても客人に接する心がけであれ。
十七、自分の知らないことは、誰でも師と思って教えを受けろ。
十八、学問や技芸は富や名声を得るためにするのではない。
    己を磨くためにあると心得よ。
十九、人にはすべて得手、不得手がある。
    不得手をみて一概に人を捨て、笑ってはいけない。
二十、己の善行を誇り顔に人に報せるな。
    我が行いはすべてが我が心に恥じぬために努力するものと思え。

人間の大きさとはこういう事をいうのだろうか。今の時代、「清貧」という言葉は死語なのだろうか。

ではでは。
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