「やり切るコト」「振り切るコト」の重要性 [よもやま話]

 我ながら振り返ってみると中途半端で終わっているコト、いやヤメちゃってることだらけだなアと
思ってしまいます。

その時は「もうダメ限界」と思ったり「まあ、続きはあとで」って途中でヤメてることだらけって反省
してしまいます。問題は反省が活かされてないから繰り返してしまってるんでしょうけど。。。

柔らかめの話で言うと、映像の編集ですね。
撮影するだけして編集をしていない素材の多いこと。

クリエーターの方にも言われました。
「撮った映像は直ぐに編集するのが効率が良い」
「編集はその週の週末までに仕上げてしまうこと」

確かに、その通りですね。途中まで編集して週をまたいでしまった素材は
よほどの理由がないと「塩漬け」になってしまっています。
クライアントの存在するプロの映像制作者の方ならまだしも、編集したものの用途があやふやな
僕のような人間にはそうなってしまちゃいますよね。

映像編集を例にとってカジュアルに書き連ねてみましたが これって何事にも通じる話だと
しみじみ思ってます。そこまでやってそこでヤメちゃうんだ。本人以上に周りからみると
冷静に見えるおかげで 尚更はっきり見えてくるように思います。

「やり切るコト」の大切さ、有効性と言う点で違う例を挙げると
「新しいアイディアの提案」ですね。コンセプトやちょっとした生煮えのアイディアだけだと
振り向いてもくれなかった上司も具体的かつ荒削りであっても とりあえず「動いたり」「機能したり」「触れたり」するもので説明すると突然、反対意見から支持する側に豹変してしまう。
サービスやワークフローの改善などもその例に漏れないですね。部分的に見せたり説明しても
訴えたいポイントが伝わらない。いや理解しようとさえしてもらえなかったりします。

「精度の高い」部分最適を見せても傾いてくれないヒトたちも「荒削りな」ホールストーリーを具体的に見せて上げると途端にポジティブになってくれる。と言う体験を多くしてきました。


説得する相手を中心に対象に語ってみましたが、もう一つ難しいのはことにあたる側にも課題があると言うことです。

個人で「やり切る」のではなく、集団、グループで「振り切ろう」としている時です。
特にややこしいのは「目指すところ」や「フリ切りどころ」の設定が違う人たちが一緒にコトに
あたる時ですね。大規模なプロジェクトでなくても起きることです。

つまり「中途半端な状態」か「振り切ったところまできているか」の判断がそのメンバーの中で
判断、思いが変わることになるからです

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 まあ、誰の目からみても「中途半端だろ!」と思うケースも多々あります。関わった人たちの思いやゴール設定からしてもそれはやりきってないでしょ。と思われるケースです。
その場合の多くは「自分の都合を押し通す」もしくは、「そのテーマ、案件から逃げる」行為のいずれかに過ぎない。そう言うのは「論外」ですね。
 さらに、「進め方、取り組み内容、ゴール設定」に途中変更が自分たちの中であった際にも明言せずにうやむやな進め方で進めるなんて言うのはあり得ないですね。思いの違う相手が絡んでいるのであれば尚更で、その立場、考え方が違う人たちの立場で考えてコンセンサスを常にとるのが当たり前。人間として最も重要な部分なはずですから。あ〜つ、ここでの主題ではないのにツイツイ熱くなってしまいました。


ちょっと強引にまとめちゃいますが
同じ「やり切る」に関しても、一人で取り組む場合と、チーム、メンバー ましてや異なる組織が絡み合う状態では意味合い、難しさがが違ってきそうですね。


ではでは。
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