敗者には、”不運だったから”という資格はない [書籍・雑誌]
最近ますます、「努力」ネタに嵌っている。
きっかけを作ったのは、川上哲治さん。
「禅」の影響をうけたことで、大きな仕事をやり遂げた人。川上哲治さん。
掘り下げてみたいと思って何冊かの本を手にした。
禅から彼が受けた、大きな影響に関して理解が進むと同時に、
言い知れぬ努力の数々を目にすることになった。
そして、もう一人の努力の人。王貞治さんが気になっている。
努力したのに結果が出ない。
そんな事を言っているようでは、まったくダメ。
結果が出ない。運が悪い?
運に作用されないぐらいにダントツの力を蓄える。
まだまだ努力が足りないんだ。
と王さんは考えていたそうです。
ただ、そういう王さんも「運」は大切だ。と考えていたそうです。
(僕らが思い描くような運ではなく、めぐりあわせ。のようなものの事のようです。)
王さんは、中学生の頃から野球がめっぽう上手だった。が、野球選手になろうとは思ってなかったそうです。
医者か技術者になりたくて、都立高校に進学するつもりだった。
だが、後に一本足打法の生みの親である荒川さんとの出会い”口説き”などにより、
野球の名門「早稲田実業高校」に進学したそうです。
そういう出会いがなければ、真剣に野球を続けることもなかったろうし、甲子園大会で優勝して、
読売巨人軍に入団するなどということは無かった筈。
また、加えて王さんはもともと右打ちだったそうです。
荒川さんが中学生の王さんをグラウンドで観た時に、
右打者として良い成績を残していた王さんではあったが
左打者としてはもっとよい選手になれる。と感じたそうです。
同じく読売巨人軍のV9をささえた、牧野茂さんがこんなことを著書『背番号1王貞治~その武蔵のごとき歩み~』のなかで書かれている。
「勝者だけには、”幸運だった”という資格があたえられる。だからといって
敗者には、”不運だったから”という資格はない」[1]
厳しい表現だが、現実を言い得ているように思う。
ではでは。
[1] 牧野茂(著) 『背番号1王貞治~その武蔵のごとき歩み~』 六興出版 1976年
きっかけを作ったのは、川上哲治さん。
「禅」の影響をうけたことで、大きな仕事をやり遂げた人。川上哲治さん。
掘り下げてみたいと思って何冊かの本を手にした。
禅から彼が受けた、大きな影響に関して理解が進むと同時に、
言い知れぬ努力の数々を目にすることになった。
そして、もう一人の努力の人。王貞治さんが気になっている。
努力したのに結果が出ない。
そんな事を言っているようでは、まったくダメ。
結果が出ない。運が悪い?
運に作用されないぐらいにダントツの力を蓄える。
まだまだ努力が足りないんだ。
と王さんは考えていたそうです。
ただ、そういう王さんも「運」は大切だ。と考えていたそうです。
(僕らが思い描くような運ではなく、めぐりあわせ。のようなものの事のようです。)
王さんは、中学生の頃から野球がめっぽう上手だった。が、野球選手になろうとは思ってなかったそうです。
医者か技術者になりたくて、都立高校に進学するつもりだった。
だが、後に一本足打法の生みの親である荒川さんとの出会い”口説き”などにより、
野球の名門「早稲田実業高校」に進学したそうです。
そういう出会いがなければ、真剣に野球を続けることもなかったろうし、甲子園大会で優勝して、
読売巨人軍に入団するなどということは無かった筈。
また、加えて王さんはもともと右打ちだったそうです。
荒川さんが中学生の王さんをグラウンドで観た時に、
右打者として良い成績を残していた王さんではあったが
左打者としてはもっとよい選手になれる。と感じたそうです。
同じく読売巨人軍のV9をささえた、牧野茂さんがこんなことを著書『背番号1王貞治~その武蔵のごとき歩み~』のなかで書かれている。
「勝者だけには、”幸運だった”という資格があたえられる。だからといって
敗者には、”不運だったから”という資格はない」[1]
厳しい表現だが、現実を言い得ているように思う。
ではでは。
[1] 牧野茂(著) 『背番号1王貞治~その武蔵のごとき歩み~』 六興出版 1976年
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