知識よりも知恵。さらにその上の智慧。ー良い欲望と悪い欲望そのすべてが危険ー [書籍・雑誌]

最近、バカとか、阿呆に興味というか感心が高まっている。世間一般の話ではなく、自分自身のいわゆるマイブームとしての話である。

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どうも、他人と比べてしまう。比べてしまうことで妬んだり、羨ましく思ったりしてしまう自分がいて、不平不満がつのったり、へんな焦りのようなものが生まれてしまう。

そんな外からの刺激によって、ゆらぎ、とらわれが生じる事でチャンスを逃したり、本来のパフォーマンスを発揮できない場面がいくつもあったな。と思うことも多い。(あとになって冷静になると自己分析も出来るのだがそのときは見えなくなっている。という現象)

だが、”ゆらいだり、とらわれたり”していては、「良い結果を常に出す」ことは出来ない。[1]それに気付かせてもらって実践も試みたが恥ずかしながら、長続きはしなかった。自分でも良い気づきをもらったと思っていたのだが。。。僕がちゃんと理解するには、何かがまだ欠けていたのだろう。

そして今、違う考えに出会えて考え始めている。

こんなコトで悩むのは、人類史上共通のテーマのようで、宗教家や哲学家の人たちはかなり掘り下げて考察を深めて来たということに気付かされる。僕のような凡人は、悩むだけなやんで悟りの境地にたどり着く前に死んで行くのだろう。

もしかしたら、問題視しないであまり考えずに人生を全う出来るのがもっとも幸せな生き方なのかもしれない。

宗教家だけではなく、生きて行く上での知恵に満ちた人の考え方も多いに参考にしたい。これは、欽ちゃん(萩本欽一さん)の言葉。コメディアンとしては、あまり僕のタイプではなかったが彼の著書に触れて、なぜこの人はずっと第一線で成功し続けたのかが少し分かった。
一流の人は、知識ではなく知恵の持ち主なのだとツクヅク感じた。

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人の幸福は、みな平等にあり。生まれた時に恵まれなかった人は、幸運だと思いなさい。

『「運が悪いなあ。。。」よく聞く言葉ですよね。でも、だれにでも運と不運は平等にきます。だから今がついていない時期なら、そのあと幸運な時期がきっとくるはずです。不運の度合いが大きければ大きいほど、これからやってくる運もおおきくなるの。 だからつらくてもも「今は運をためてる時期なんだ」と思って耐えていれば、いつか状況はかわっていきます。運の神様は、そうそう一人の人間ばかりいじめません。』[2]

『つらい環境や子育てに向かない親の元に生まれてきた人って、最初から運がプラスの状態になっているの。世間の人から、「かわいそうな生い立ちね」と言われる人は、僕から言わせればすごくラッキー。こういう人は、自分の境遇を恨まず、ごく普通に生活を送っているだけで、必ず幸運がやってくるんです。 その代わり、今目の前にある現実を嘆いたり、親を罵ったり、不平不満を言うたびに運はだんだん消えて行きます。』[2]

『運は自分の行動や言葉でよくも悪くもなるんです。いやなことがあっても弱音を吐かず、いつも人にやさしくしていれば、運は自然とたまっていくの。』[2]

『今は世の中が不景気だから「お金をためておこう」と思う人が多いかもしれないけれど、お金に執着すると顔つきが悪くなって運が逃げていきます。

その点、「運をためよう」と思って日ごろの態度や言葉をよくしていくと顔にもいい運が出てくるから、お金がないときもだれかが助けてくれちゃう。お金よりも運をためるほうが、ずっと豊かに暮らせますよ。』[2]

そう考えれば、いまの自分の境遇を恨むことも、他人を羨ましいと思う気持ちも収まる。というもの。穏やかな自分をつくることが出来るように思う。

欽ちゃんは、生き方の達人。知恵者だと断言したい。

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『あなたは、お金があることが幸福だと思っていませんか。お金があって、健康に
恵まれて、家庭内にトラブルがない。そういう状態が幸福だと考えていませんか。

 それだと、あなたは幸福になれません。

なぜなら、少しばかりのお金があれば、あなたはもっと欲しくなります。1千万円の
年収があればいいな。。。と思っていた人が、1千万円の年収が得られるようになれば
<いや、一千万円ではダメだ、せめて3千万円ぐらいでないと。。。>
と考えるようになります。

人間の欲望は、それが充足されると、必ず膨らむものです。

仏教の開祖の釈迦は、
ー欲望は危険であるー
と言っています。

釈迦は、その欲望の危険を知って、その危険から逃れるために出家したのです。

でも、わたしは、皆さんに出家を勧めているわけではありません。勘違いをしないで
ください。私が言いたいのは「欲望の危険」を知っていないと、我々は幸福に
なれない。ということです。

お金が欲しいというのも欲望です。出世をしたいというのも欲望です。
 出世をしたいというのも欲望です。そして、そしてたとえば世の中の役に立つ人間
になりたいというのも、欲望なんです。
ひょっとしたらあなたは、欲望のうにちにも、

ー良い欲望と悪い欲望ー

があると考えているかもしれませんが、良い欲望であれ、立派な欲望、殊勝な欲望、
利他的な欲望といったものも、すべて欲望があることにまちがいはありません。
そして、すべての欲望が危険なのです。釈迦はそう考えました。

 そのことをしっかりと認識してください。
欲望というものは、それが充足されると必ず膨らみます。
 だから、欲望を充足させることによっては、我々は幸福になれないのです。
良く考えてください。

 金持ちと貧乏人は相対的な関係です。

 全員が金持ちになるわけではありません。必ず貧乏人がいます。

 その貧乏人のいるおかげで、金持ちが存在出来るのです。

 日本のお金持ち(純資産8000万円以上)は、約360万人(2012年現在)
 超お金持ち(純資産40億円以上)は、3,400人。
 それ以外の人はまあ、貧乏人です。

 お金があれば幸福だとすると、大部分の日本人は幸福になれません。

 それじゃ、おかしいのです。
 
 幸福というものは、みんなに平等であるはずでしょう。
 誰もが幸福になれるはずです。
 ということは貧乏な人でも幸福になれるのです。
 
 出世をしない人間、あまり世の中の役に立っているとは思われない人間、窓際族、
 落ちこぼれ、そいういう人でも幸福になれるはずです。

 いや、そういう人たちでも幸福になれる、幸福とはそういうものでなければならない
 のです。

 要するに、あなたが「状態」を変更することによって幸福を得ようとするのがまちが
 っています。

 いま、金銭的に不如意の状態にある。
 これを変更して、もっと金持ちの状態になればよい。
 そうすればわたしは幸福だ。

 いま、病気の状態にある。この病気が治って健康の状態になることが幸せなんだ。

 あなたがそんな風に考えているとしたら、あなたは幸福になんかなれません。
 病気が治っても、また病気が再発する虞もあります。
 不安を抱えて生きる生き方、そんなものが幸福であるわけがありません。
 どうして病人のまま、幸せに生きようとしないのでしょうか。

 貧乏人が貧乏なままで幸せになれる方法がある筈です。
 知り合いの医師に教わったのですが、70歳を過ぎてかれるがごとくに死んでいった
 老人の死体を病理解剖すれば、ほとんどがガンに冒されているそうです。

 つまりガンは、人間を安らかに死なせてくれる素晴らしい病気なのです。

 だが、現代の医学は、ガンを敵視して、摘出療法や放射線療法によってガンを克服
 しようとします。
 そうすると痛みがともなうのです。

 早期発見をしてガンと闘い、ただ闘病のみに活きる生活。
 びくびくと暮らす毎日。

 それよりは昔の老人のように、自分ががんだと知らず、自然なままに穏やかに死んで
 いける人生。わたしはそのほうが幸せだと思うのですが、読者はどう考えられますか?
 ということは、諸悪の根源は「状態」を変更しようとすることにあります。

 いま、わたしは貧しい。これを変更して裕福な状態にせねばならない。
 病気の状態を健康の状態に変えねばならぬ。
 我が子の学業成績を優等生の状態にせねばならぬ。

 人々は、そう考えます。
 そして、「状態」をより良くすれば幸福になれると思っています。

 世の中には、幸福になるための処方箋を論じた本がごまんと出版されています。
 それらの本は、「状態」を改善するためのハウツーを提起しています。

 でも、その手の本を読んでも、あなたは幸福になれません。

 いや、むしろ、いま以上に不幸になります。
 なぜなら、幸福は「状態」の変更によっては得られないからです。

 幸福は、「状態」ではなく「存在」そのものに属するものなのです。

 貧乏な人は、貧乏なままで幸福になれます。
 また、貧乏なままで幸福になれないとしたら、そんな幸福には意味がないのです。

 あなたがいまある、その「状態」のままで幸せになれる、そういう幸福が本物の
 幸福です。

 要するに、
 ーそのまんま・そのまんまー

 なんですね。わたしたちはいまある状態のままで幸福にならなければならない。
 それが本当の意味での幸福なんだ。わたしはそう思っています。』[3]

 ー良い欲望と悪い欲望ー

 があると考えているかもしれませんが、良い欲望であれ、立派な欲望、殊勝な欲望、
 利他的な欲望といったものも、すべて欲望があることにまちがいはありません。
 そして、すべての欲望が危険。

この考え方に出会えたことで、なにか違う自分に出会えたような気がしています。

いまさらながらに宗教家、哲学家とは、このような本質を突き詰めて考え続けていた人たちということ。根源的なヒントはここにこそあるのかもしれない。

主題にもどろう。
ちょっと、バカ。になる。とか、阿呆の智慧(ちえ)は、生きて行く上での大きな示唆だと感じている。直接的に表現している本もあれば、読者にそう感じさせるような内容のものまでさまざま。読者がどう理解する、感じるかは勿論委ねられている。それが読書の良さなのだろう。

ではでは。


[1]

「第二の脳」のつくり方

「第二の脳」のつくり方

  • 作者: 辻 秀一
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2010/06/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



[2]

ダメなときほど運はたまる ~だれでも「運のいい人」になれる50のヒント~ (廣済堂新書)

ダメなときほど運はたまる ~だれでも「運のいい人」になれる50のヒント~ (廣済堂新書)

  • 作者: 萩本 欽一
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2011/01/18
  • メディア: 新書



[3]

阿呆の知恵 自分らしい人生を送るための25のヒント (角川oneテーマ21)

阿呆の知恵 自分らしい人生を送るための25のヒント (角川oneテーマ21)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2013/07/10
  • メディア: Kindle版



[4]

心の野球―超効率的努力のススメ

心の野球―超効率的努力のススメ

  • 作者: 桑田 真澄
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2010/06
  • メディア: 単行本



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