KPI設定するのがいいのか。それともKPIを設けない方が良いのか。 [書籍・雑誌]

 組織、個人のパフォーマンスを最大化するには、どうしたらよいのだろうか。誰しも悩むテーマである。

 目的を設定、共有し、それにむけて進めば良いではないか。組織はそもそも、同じ目的をもった人たちがことを成すことで効率アップ、成果拡大を達成するためのモノ。だが、組織が大きくなればなるほどそれが難しくなる。それを企業においては、大企業病と称している。

 組織が継続的に成果を出し続けるためには、やはり人材の確保、育成が鍵である。とみな口々で言いながらも実際のところ実行に移しきれていない実態があるように思う。人材の育成といえば、人事の仕事と言わんばかりに後進の育成に熱心でないマネージメントが多い。というのが僕がうける印象。人材育成というのは、なにも形式ばった研修形式のものに限らない。日々の業務でのアドバイスや、教養を高めるための示唆を与えるなどいろいろな方法や場があるはずだが、昨今のマネジメントは目の前の業績さえ上がればそれで良い思っているのでは。と思わされることが多々ある。

 海外では、この人材育成に関するパフォーマンスをKPI評価している。有名な例がP&G。業務以上に後進の育成での気苦労が絶えなかったという話も聞いたことがあるくらいだ。[1]

 KPIと聞くと、日本人はなにやらアレルギーがあるらしい。それを最近避けて通っている人材育成との組み合わせとなるとさらに印象を悪くもつ傾向が強い。僕も、KPIにしなくても、皆しも自然に後進の育成を積極的にする。そういう空気があれば理想的だと思っている。やらされ感では、限界が来る。突き抜けた成果を出すには強制では無理だという信念すらあるからだ。

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■KPIの功罪に関して考察してみたいと思う。
[罪]手段が目的化しやすい。 達成するためには、手段を選ばなくなる。プロセス無視の結果主義化する恐れがある。

[功]組織で目指すものが明確に出来る。 評価基準に対して正当に評価されるようになる。(いままで実行していても)評価されなかった人がちゃんと評価されるようになる。


論語の一節を思い出した。

子曰く、之を道くに政を以てなし、
之を斉うるに刑を以てすれば民免れて恥なし
之を道くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、
恥ありて且格(正)し。


法律や刑罰によっては、人々の行いを正しくすることはできても、
良心の律(おきて)を与えることはできない。道義と節度とは人々に良心の律(おきて)を与えるものだ。
人々の行いは内から律しくならずにはいない。(『中国聖賢のことば』)

けれども、乱世の時代だと、手っ取り早く、法を使い刑罰で正すのがその場では効果的。
たしかに、それは対症療法(目の前の病気をともかく治療すること)ではあっても、根本療法(身体が持っている自然治癒能力を活性化すること)ではない。孔子は、根本的方法(道徳を身につけさせること)を求め、対処療法(法によって強制的に秩序づけること)は否定しないが、あくまでしのぎの手法であるとした。[2]

話をKPI設定するか、否かに戻そう。
KPIも対処療法に過ぎないが、窮地に追いやられた場合は有効活用すべきである。ただし、将来的には、その企業、組織において自然な活動、常識化する、企業文化への昇華させること、根本療法を施すことが前提になる。

KPI化することに、僕自身も拒絶反応に近いものを感じていたが、こう考えるとなんかスッキリした。

ではでは。

[1]

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[2]

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