君子(教養人)と小人(知識人)との違い。 [書籍・雑誌]

なんだか、頭でっかちになってるな〜。と感じる今日この頃。いろいろな本を読んだり、人(経営者、スポーツ選手、政治家、大学教授など)の話を聴いたりいろいろやってる方だと自分でも思うが、行動が伴っていない。経験が少ない。とつくづく思ってしまう。

社内でも勉強会と称して、寺子屋的な活動もやっているが所詮勉強会。どれだけ継続してもどれだけ人、会社に影響を残してもそれは勉強会でしかない。自分の実績にならないことが不満? 勉強会が非公式故に評価につながらない? それも確かにある。が、それ以上に自分の中の葛藤は、自分の業務に直接試せないことへの憤りなのかもしれない。

 自分自身は、エージェントタイプなのか、それともプリンシパルタイプなのか。そういう自問自答にも繋がる。僕は、自分自身で事業を起こす、経営するプリンシパルタイプそれとも、コンサルティングを生業とすべきタイプなのか。いまの自分はプリンシパル足りたいという思いが強くなっているのかもしれない。いや、コンサルティングを自分の仕事にしたい。と考えているのかもしれない。自分が自分でわからなくなっている。まさに混乱している状況だ。

すくなくとも、いまの環境、状況から違う段階に進みたいと強く思っている。

 そういう葛藤の中、こんな言葉に出会った。
教養人(君子)と知識人(小人)とは違う。知識人という言葉だけを聞くと、なんかすっごくカッコイイ。いろいろ知っている人だ。って具合に。でも、教養人とは、知識がある上に、さらにその上に人格的に優れている人を指す。とある。

知識人はただ知識があるだけで、判断する力、構想する力、徳性、人間的魅力、、、要するに人間性・人格性が必ずしも伴っていない人。だという。[1]

これは、プリンシパル、エージェントという比較とは次元が違う。良きエージェントも、教養人であることが求められる。

いろいろ悩む前に、知識人で終わらず、教養人に近づけるように切磋琢磨したい。そのための経験、体験をもっと積みたいと思う。そのためには、新たなステージに身を移したい!と心から思うのだった。心の準備は出来ている。(自分が知識人?いや、まだまだである。だが、知識人を目指しているだけでは、到底教養人には近づけない。教養人を目指す過程で知識人としても認められる必要はあると思う。日々精進。開拓無限なのである。)

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(東京大学のイメージを掲載したが、特別な意図はない。載せてみたかっただけです。)


ではでは。


[1]

論語 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川学芸出版
  • 発売日: 2011/02/05
  • メディア: Kindle版



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