「仕事には、精神を絞り込む」 朝倉摂さん(朝日新聞 『仕事力』から) [新聞]
お恥ずかしながら、朝倉摂さんのことは知らなかった。でも、この文章を読んで素晴らしいと素直に”感じた”。今日も、朝日新聞社『仕事力』から以下、抜粋させていただく。
「仕事には、精神を絞り込む」 朝倉摂さん
「明日の役に立つことだけを追わない」
専門家になる、はっきりとした目標があるというのはとても大切なことだと思います。ただ、それだけに向かって細い道をひた走るような生き方は、豊かな社会を生まないのではないか。
たとえば演劇や舞台美術、あるいは絵画やデザイン、建築等の仕事は、どれだけ多くのモノを見、感じて来たかがあとで大きく生きてきます。私は子猫のように好奇心が強くて、今、目の前にあるこの観葉植物の葉の付き方とか、窓から見える空の変化、電線にとまる小鳥たち、果てはゴミ箱や路上に落ちているものまで興味があるんです。ありとあらゆるモノの中にヒントが隠れているからです。(略)
そして感じた物を自分の手で表現する訓練をきちんと積まなければならない。絵が描けることが基本だと思いますが、それはデッサンが緻密だとか、うまいとかいうのではなく、何をやりたいかがはっきりと伝えられる力。自分の仕事のハートをここに込めたと理解させる力量ですね。コンピューターの画面を立ち上げて、確かに表現はできますが、それなら徹底してやらないと面白いものはできないかもしれません。それで表現したつもりになってはダメです。
”心が曇る仕事はしない!”
「リアリティを勉強する」
芸術や演劇に限らず、どのような仕事も人が人とどう通い合うか、それが原点だと思います。でも、いまの日本にはその「心」を学ぶ場が少なすぎる。舞台時術を学ぶ学校も、しっかりと演劇を教えるシステムもないのが現状ですね。
演劇という作られた物を人がなぜ観たいかといえば、そこに実感が存在するからだと思う。虚構の世界だけど、人間の、自分の内側にあるリアリティが呼び覚まされるから。心の中にある「生」な感覚が動くというのかな、それは快感ですね。でも動かすのは簡単ではない。(略)
いい仕事の芯にあるのは、やっぱり本物のスピリットです。
「愛との才能に膝を打つだいご味」
自分の持てる力をすべて注ぎ込むこと、それが仕事をするということだと思います。いま目の前にある仕事をするために、今日までの自分の経験や努力はあったのだと、精神を絞り込んでいく、尖らせて行く。(略)
会社などの組織で仕事をしている人は、根回しとか、役職の上の人の意向を通さなくてはという慣習があるらしい。正直に言えば、私はそれがうっとうしい(笑い)。そして、いい結果を生まないだろうなというのも分かります。自分の地位に固執したり、偉くなったと思っている人はダメでしょうね。その時点で本質を見極める事が出来なくなってしまう。視点が曇ってくるのです。
頭の固い大人は、一方でやたら若い人を持ち上げる。年齢というひとつの条件だけで見る愚を犯しています。若者にも、そうしようもなく頭の固い人はいるし、年齢は高くても柔軟で鋭い人はいます。思い込みにとたわれていないか。自分の考え方は手垢にまみれていないか。本質を見極めようとする真剣さをもっているか。できることなら真っすぐにに振り返ってみて欲しいと思います。
「迷いは、仕切り直す」
私は、やりたくない仕事は引き受けないという気持ちで今日まできました。その基準は予算の有無やネームバリューとはまったく関係ありません。真にクリエイティビティの問題です。(略)気が進まない要素があるとそれが心のブレーキをかけてしまって、私らしい仕事へと駆け上がらない。
でも、私も人間ですから、何となくモヤモヤしながら引き受けてしまう仕事もあります。投げるわけにはいかない。そんなときは、心にザーッと水を浴びるようなつもりで振り出しに戻る。やってもいいかなと感じたのは何に惹かれたからなのか。自問自答するうちに、その仕事がもっとハッキリ見えてくる。これは妥協するのとは違います。自分が納得するように仕切り直すのです。(略)人はだませても自分だけは騙せないから、あのときの私には一点の曇りがあった、と後悔するのはどうしても避けたいですね。
「安全弁を外して生きる」
日本のビジネスマンは、常識から外れても、踏み込んで持論を言っていますか。地位を上げる、偉くなることを目的にして、自分を殺してでも波風をたてまいとしていませんか。私から見ると一人ひとりがみんな、それぞれの方向に逃げているように感じられます。(略)
思ったこと、考えたことは勇気を出してその場で発言すること。ダメだったとき、失敗したときはごめんなさいと謝ればすむはずです。素直になれない人と仕事をするくらい、つまらないことはないですからね。[1]
朝倉さんご本人は、日本画の大家でありながら、舞台美術の世界に挑戦。さらなる飛躍を遂げた方。絵という2次元の世界から三次元、4次元の世界に飛出した方だそうです。僕自身も自己実現のために、今こそ次のステップ(世界)に飛びすタイミングに来ていると感じているところ。それだけにビンビン響く文章だった。いままさに、行動に結びつける時!
ではでは。
[1]朝日新聞「朝日求人」欄2003年3月〜2005年5月 P24〜P39
「仕事には、精神を絞り込む」 朝倉摂さん
「明日の役に立つことだけを追わない」
専門家になる、はっきりとした目標があるというのはとても大切なことだと思います。ただ、それだけに向かって細い道をひた走るような生き方は、豊かな社会を生まないのではないか。
たとえば演劇や舞台美術、あるいは絵画やデザイン、建築等の仕事は、どれだけ多くのモノを見、感じて来たかがあとで大きく生きてきます。私は子猫のように好奇心が強くて、今、目の前にあるこの観葉植物の葉の付き方とか、窓から見える空の変化、電線にとまる小鳥たち、果てはゴミ箱や路上に落ちているものまで興味があるんです。ありとあらゆるモノの中にヒントが隠れているからです。(略)
そして感じた物を自分の手で表現する訓練をきちんと積まなければならない。絵が描けることが基本だと思いますが、それはデッサンが緻密だとか、うまいとかいうのではなく、何をやりたいかがはっきりと伝えられる力。自分の仕事のハートをここに込めたと理解させる力量ですね。コンピューターの画面を立ち上げて、確かに表現はできますが、それなら徹底してやらないと面白いものはできないかもしれません。それで表現したつもりになってはダメです。
”心が曇る仕事はしない!”
「リアリティを勉強する」
芸術や演劇に限らず、どのような仕事も人が人とどう通い合うか、それが原点だと思います。でも、いまの日本にはその「心」を学ぶ場が少なすぎる。舞台時術を学ぶ学校も、しっかりと演劇を教えるシステムもないのが現状ですね。
演劇という作られた物を人がなぜ観たいかといえば、そこに実感が存在するからだと思う。虚構の世界だけど、人間の、自分の内側にあるリアリティが呼び覚まされるから。心の中にある「生」な感覚が動くというのかな、それは快感ですね。でも動かすのは簡単ではない。(略)
いい仕事の芯にあるのは、やっぱり本物のスピリットです。
「愛との才能に膝を打つだいご味」
自分の持てる力をすべて注ぎ込むこと、それが仕事をするということだと思います。いま目の前にある仕事をするために、今日までの自分の経験や努力はあったのだと、精神を絞り込んでいく、尖らせて行く。(略)
会社などの組織で仕事をしている人は、根回しとか、役職の上の人の意向を通さなくてはという慣習があるらしい。正直に言えば、私はそれがうっとうしい(笑い)。そして、いい結果を生まないだろうなというのも分かります。自分の地位に固執したり、偉くなったと思っている人はダメでしょうね。その時点で本質を見極める事が出来なくなってしまう。視点が曇ってくるのです。
頭の固い大人は、一方でやたら若い人を持ち上げる。年齢というひとつの条件だけで見る愚を犯しています。若者にも、そうしようもなく頭の固い人はいるし、年齢は高くても柔軟で鋭い人はいます。思い込みにとたわれていないか。自分の考え方は手垢にまみれていないか。本質を見極めようとする真剣さをもっているか。できることなら真っすぐにに振り返ってみて欲しいと思います。
「迷いは、仕切り直す」
私は、やりたくない仕事は引き受けないという気持ちで今日まできました。その基準は予算の有無やネームバリューとはまったく関係ありません。真にクリエイティビティの問題です。(略)気が進まない要素があるとそれが心のブレーキをかけてしまって、私らしい仕事へと駆け上がらない。
でも、私も人間ですから、何となくモヤモヤしながら引き受けてしまう仕事もあります。投げるわけにはいかない。そんなときは、心にザーッと水を浴びるようなつもりで振り出しに戻る。やってもいいかなと感じたのは何に惹かれたからなのか。自問自答するうちに、その仕事がもっとハッキリ見えてくる。これは妥協するのとは違います。自分が納得するように仕切り直すのです。(略)人はだませても自分だけは騙せないから、あのときの私には一点の曇りがあった、と後悔するのはどうしても避けたいですね。
「安全弁を外して生きる」
日本のビジネスマンは、常識から外れても、踏み込んで持論を言っていますか。地位を上げる、偉くなることを目的にして、自分を殺してでも波風をたてまいとしていませんか。私から見ると一人ひとりがみんな、それぞれの方向に逃げているように感じられます。(略)
思ったこと、考えたことは勇気を出してその場で発言すること。ダメだったとき、失敗したときはごめんなさいと謝ればすむはずです。素直になれない人と仕事をするくらい、つまらないことはないですからね。[1]
朝倉さんご本人は、日本画の大家でありながら、舞台美術の世界に挑戦。さらなる飛躍を遂げた方。絵という2次元の世界から三次元、4次元の世界に飛出した方だそうです。僕自身も自己実現のために、今こそ次のステップ(世界)に飛びすタイミングに来ていると感じているところ。それだけにビンビン響く文章だった。いままさに、行動に結びつける時!
ではでは。
[1]朝日新聞「朝日求人」欄2003年3月〜2005年5月 P24〜P39
コメント 0