生きた知識を身につけるためには。 [よもやま話]

何事も、二元論的で考えるとスッキリするコトが多く感じます。

結論は、どんな場合もほぼ同じ。(な気がします)

その両極をバランスをとって事に当たると良い。
要は中庸だったり、時と場合、段階に合わせて、両極の間を行き来すると上手くいく。

もっともイケナイのは、(ただただ)中途半端な事。

ここまでの下りとは、直接関係がないのですが いい表現だな。と思う言い回しに出会ったので
今日はそれをここにメモしておきたいと思います。

『必要としていない知識を無理やり詰め込むのは一種の拷問であり、

 教育としはレベルが低い。

 したがって(闇雲に手段)方法を暗記させる事はナンセンス。

 それよりも、何かを成そうとしているときに、どうしてもその手段、方法が

 必要な状況に遭遇すれば、(子供たちは)生きた知識を身につけていく』〔1〕


本当にその通りだと思います。自分が子供、学生だった頃を思い起こしてもその通り。

何に必要でこんなの勉強するのかな。と思いながら本を開いていても全く身につかなかったけど、

大学で専門過程に興味が持てた途端に必要性を感じるようになりました。

貪るように土日がないだけではなく、一日の時間の概念も吹き飛ばして、

来る日も来る日も数学、物理の本をめくり、必要があれば、スポーツ関係の資料も漁りながら

数式を組み立てプログラムを書いていましたね。(質の程は、置いておいてもそれなりの数の論文も書いた気がします)

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社会人になってからも、必要を感じるものには、いつの間にかのめり込んでいる気がします。

ビジネススクールに通ったのもそうだし、
授業を限りなく受講したのもその現れだったのかなと思います。(受講しすぎで学校からクレーム?)

こんな姿勢で受験勉強していたらもうちょっとマシだったのかなW なんて思ったりします。

でも、そう言うものなんですよね、必要性を理解出来ていないと拷問ですから。

拷問に耐えられるほど強くなかったですからW
(その点、学生の頃に学習の意味とか必要性を理解出来ていた人たちは、素晴らしい。って事です。興味を持って勉強できたと言う事ですから。)

それもあって、社会人になっても『研修』と言うものがあまり好きではないです。
それも講師として好きには慣れないです。

研修と名が付くと、強制的に受講。受け身になりやすうからです。

必要を感じる人が、自発的に学ぶ。そ言うスタイルが好きです。
教える方も、教わる方もそれが理想的な姿。

僕がやらなくてはならないのは、参加したい。学び取ってみたいと思わせる
内容と仕組み。

しばらくは、コーチ役(今の会社にいる間は少なくとも)なので、

僕が組み立てる学びのプログラムや講座は、

『必要な知識』であることを理解してもらえるように、そこから工夫をして行かねばと
思う次第です。

ではでは。


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ピストン

ブログを拝読いたしました。
「必要を感じる人が、自発的に学ぶ。そ言うスタイルが好きです。」
そうですよね。そのほうが確実に身に付きます。

ちょくちょく読ませていただいています。

by ピストン (2018-11-19 13:01) 

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