良い発想を生み出すためのヒント(『藤子・F・不二雄の発想術』からの気付き) [書籍・雑誌]
発想するためのヒントが欲しくて読んだ『藤子・F・不二雄の発想術 』発想のためにはこうしなさい!という表現はなかったもののいろいろな気付きをもらった。
『まんがを分解してみると結局は小さな断片の寄せ集め。たとえばドラえもん。ドラえもんは、『未来』というひとつの既成概念と、『ロボット』というチェコスロバキアの小説家カレル・チャベックが表現していらいの周知の断片、そしてありふれた『ネコ』おのおのは、既に皆のなかにある概念である。それらに、次々に便利なものを取り出す入れ物がないかと『ポケット』や『四次元世界』といういくつかの既成概念をプラスした。ひとつひとつの概念に新しいものはひとつとしてない。[1]
まんが家がまんがを書こうとする場合、頭の中にしまいこんでいる断片の集団をあれこれいじり回して、あれがつかえそうと組み合わせたり捨てたり、組み直したり、、、そういう作業の結果ひとつのアイディアにまとまってくる。 ほとんど無意識の領域で行われている事である。やはりなるべく面白い断片を多く持っていた方がいいということになる。』[1]
『アイディアは思いついた時に手帳にメモをとる。いやアイディア以前のほんのちょっとした思いつきのようなもの『ひょっとしてこれをふくらませるとおもしろいまんがが描けるかもしれない』というタネをめもしておく。この時、タネは敢えて膨らませず描いておく。それはタネの鮮度をおとしなくないからである。』[1]
『新作のまんがにとりかかるとき誰でも『今度こそ大傑作を描くぞ!』と意気込むのですが、さて完成してみるとだいたいの場合、どこかに不満を残してペンを置くことになる。意欲だけでは傑作はうまれない。どんなに経験をしても技術を磨いても計算しつくせない要素があって、そこがまたまんがのおもしろさなのだが、とにかく多くを描いてみるしか無い』[1]
『人間の頭脳は、氷山にたとえあれる。海面に現れている部分が意識の世界で日常の精神活動はここで行われている。勿論アイディアを考えるのも。しかし、海面下の部分はもっと巨大でここでの潜在意識、原始的で理性のコントロール抜きで活動している。
おそらく、時代とともに変わって行くのは上辺だけで、人間の本質は殆ど変化していない。だから、人間を本質に近い部分で捉え描けていれば必ず共感してくれる読者がいる。』[1]
以上が、僕が藤子・F・不二雄さんからもらった気付きに繋がる言葉。
僕なりにそれを要約すると、
①質の良い古典を多く読む、観ることで良い断片を数多く身に付ける事。
②頭の中に押し込める、考えているだけではダメ。文字にするなり映像にするなり、視覚化、表現を具体的にする事、それをなるべく数多く、継続的に精力的におこなうこと。
③惑わされる事無く、本質で仕事をすること。
これが、良い発想を有無ためのヒントなのだろう。
働く環境を作り、提供する企業・経営者に対しては、
イノベーション、イノベーションと肩に力を入れすぎずには、数多く試してみる。精力的に。そういう環境と勇気こそが大切なのだろう。そういう環境を作ってあげてほしい。もちろん人選も大切である。其の為には、のめり込む、のめり込める資質いわゆるオタク気質の人間でなければならない。勉強ができる、決まった仕事をこなせる。そんな人間では難しい気がする。
のめり込める資質を持った人たちに対しては、
もっとももっと極限まで考えに考え、そして表現、可視化して欲しい。出来れば具体的なモノで表現して欲しい。
以前から強く思っていたことだが、改めてそれを感じる結果となった。
ではでは。
[1]
『まんがを分解してみると結局は小さな断片の寄せ集め。たとえばドラえもん。ドラえもんは、『未来』というひとつの既成概念と、『ロボット』というチェコスロバキアの小説家カレル・チャベックが表現していらいの周知の断片、そしてありふれた『ネコ』おのおのは、既に皆のなかにある概念である。それらに、次々に便利なものを取り出す入れ物がないかと『ポケット』や『四次元世界』といういくつかの既成概念をプラスした。ひとつひとつの概念に新しいものはひとつとしてない。[1]
まんが家がまんがを書こうとする場合、頭の中にしまいこんでいる断片の集団をあれこれいじり回して、あれがつかえそうと組み合わせたり捨てたり、組み直したり、、、そういう作業の結果ひとつのアイディアにまとまってくる。 ほとんど無意識の領域で行われている事である。やはりなるべく面白い断片を多く持っていた方がいいということになる。』[1]
『アイディアは思いついた時に手帳にメモをとる。いやアイディア以前のほんのちょっとした思いつきのようなもの『ひょっとしてこれをふくらませるとおもしろいまんがが描けるかもしれない』というタネをめもしておく。この時、タネは敢えて膨らませず描いておく。それはタネの鮮度をおとしなくないからである。』[1]
『新作のまんがにとりかかるとき誰でも『今度こそ大傑作を描くぞ!』と意気込むのですが、さて完成してみるとだいたいの場合、どこかに不満を残してペンを置くことになる。意欲だけでは傑作はうまれない。どんなに経験をしても技術を磨いても計算しつくせない要素があって、そこがまたまんがのおもしろさなのだが、とにかく多くを描いてみるしか無い』[1]
『人間の頭脳は、氷山にたとえあれる。海面に現れている部分が意識の世界で日常の精神活動はここで行われている。勿論アイディアを考えるのも。しかし、海面下の部分はもっと巨大でここでの潜在意識、原始的で理性のコントロール抜きで活動している。
おそらく、時代とともに変わって行くのは上辺だけで、人間の本質は殆ど変化していない。だから、人間を本質に近い部分で捉え描けていれば必ず共感してくれる読者がいる。』[1]
以上が、僕が藤子・F・不二雄さんからもらった気付きに繋がる言葉。
僕なりにそれを要約すると、
①質の良い古典を多く読む、観ることで良い断片を数多く身に付ける事。
②頭の中に押し込める、考えているだけではダメ。文字にするなり映像にするなり、視覚化、表現を具体的にする事、それをなるべく数多く、継続的に精力的におこなうこと。
③惑わされる事無く、本質で仕事をすること。
これが、良い発想を有無ためのヒントなのだろう。
働く環境を作り、提供する企業・経営者に対しては、
イノベーション、イノベーションと肩に力を入れすぎずには、数多く試してみる。精力的に。そういう環境と勇気こそが大切なのだろう。そういう環境を作ってあげてほしい。もちろん人選も大切である。其の為には、のめり込む、のめり込める資質いわゆるオタク気質の人間でなければならない。勉強ができる、決まった仕事をこなせる。そんな人間では難しい気がする。
のめり込める資質を持った人たちに対しては、
もっとももっと極限まで考えに考え、そして表現、可視化して欲しい。出来れば具体的なモノで表現して欲しい。
以前から強く思っていたことだが、改めてそれを感じる結果となった。
ではでは。
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