近代科学は、複雑なものを扱うのが苦手。 [書籍・雑誌]

本日4月29日よりゴールデンウィーク突入。すでに昨日から連休を楽しんでいる人もいるのだろうが。(山手線の込み具合は、普段とそんなに変わらなかった。というのが昨日28日(月)の印象。だが、企業、職場によっては違うようにも思う。)

それはさて置き、激務だった業務も今先ほど一段落した(祝日の早朝まで仕事とは、我ながらあっぱれ? 眠らない男の異名復活かW)ので、今週はいろいろなコトに思いを馳せてみたいと思う。

ココ最近の興味は、いわゆるマーケティング論とか、戦略、戦術ではなく、人、組織、心などに大きく傾いている。お互い無関係かというとそんなことは決してないのだが、あえて言うと 心や気持ちにまつわることを中心に色々考えたり、本を手に取っているように思う。なにか、勝ち負け とか、売れる、売れた という視点よりも、幸せ、心地よい。という切り口が今の僕にとっても気持ちが良い。

そのきっかけを作ったのが、天外 伺朗さんの著書。そして、それが桜井章一さんや、出路雅明さん、桑田真澄さん、そして甲野善紀さんの著書に広がっていった。甲野さんの場合は、対談形式の著書も多く、名越康文さん、養老孟司さん、桜井章一さん、そして茂木健一郎さんらと共著をだされている。

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今日、ここに書き留めておきたいのは、その甲野さんと茂木さんとの対談の中での茂木健一郎さんのコメント。なにか自分のなかでのモヤモヤを上手く表現してくれている。

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「近代科学は、振り子運動や、円環運動といった、非常に単純なニュートン力学で表現できるような現象から出発しました。たとえば月の公転の記述であれば、そういう単純なモデルでよくいったわけですが、それは当然、生命現象のような複雑なものを扱うのに向いたものではありません。もちろん、科学も段々と複雑系を取り扱うようになってきたわけですが、基本的には振り子運動から始まった歴史の上に、単純なことを積み重ねることによって進歩してきたのです。だから、現時点の理論体系で説明出来ることだけを科学だと考えてしまうと、シンプルで簡単なものだけが科学ということになる。それは甲野さんが指摘された、筋トレのような科学です。脳科学でも、筋トレみたいな脳科学はありますし、わかりやすいから一般の方にはアピールするのですが、そrは決して科学の全てではないし、脳の本当の姿を説明するものではない。 
一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明出来ないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明出来ない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなければならない。
 そうすると結局、科学で説明出来ないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けて行くしか無いんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きて行くためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学が全てを解明する事を待つ事はできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。
 少なくとも現時点では、甲野さんの武術のような高度な運動を取り扱うのは科学そのものではなく、生命哲学に位置づけるべきだと僕は思います。甲野さんのお話は単なる運動科学にとどもまるものではなく、ニーチェやベルグソンのような哲学者が考えてきたことに密接に関係していると感じています。そういう意味では、宮本武蔵のような人たちも、生命哲学者として捉えるといいと思う。

僕も「脳科学ではどう考えますか?」とよく聞かれるんですよ。たとえば「英語を始めるのは小学校のときが良いのか、基礎ができた中学校の時からがよいのか」と聞かれる。しかし、すくなくとも現時点ではその質問に脳科学者が100%確実に答えられることはありません。それは実は、科学的にはとてつもなく複雑で難しい問題であり、少なくとも現時点では科学に頼らず、自分の経験や知恵、勘によって選択するしかないんです。(略)「英語は何歳からはじめるといいか」といった質問に答えようと思ったら、生命哲学か経験則で答えるしかありません。でも、それでもかまわないんですよ。科学的に言えないからといって、黙っている必要はない。

そのあたりは凄くバランスが難しいところではありますが、少なくとも「科学的根拠に基づいて何かを言う」という時には、それによって大事な経験則や生命哲学が損なわれてしまうことが無いように気をつけなくてはいけないと思いますね。」[1]

なるほど。納得。でも裏を返すと、科学的権威とよばれる人のコメントも実は、その人自身の経験則や生命哲学をもとにしたコメントが多くの比重を占めることになる。だが、科学的権威の口から出た言葉は、科学の真理、事実として捉えられかちなのも否定出来ない。

TV番組のコメンテータのコメンテータの多くも何らかの分野での専門家、第一人者。その人が言うとなんだか全てが本当だ。事実だと思い込んでしまう。これは、危険だ。ということ。自分の専門知識外、一般生活の知恵からくるコメントが実は比重が大きかったりするからだ。

もちろん、そのコメントが全て疑うに値するとは言っていない。そのコメントによって決心がついたり考えが変わったりして良い事も多い。だた良いたいのは、鵜呑みは良くない。ということだ。科学の話だろうと、政治、文化、生活にまつわる話だろうと。

今日も、どうでも良い事を考える一日になりそうだW

ではでは。

[1]

響きあう脳と身体 (木星叢書)

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  • 作者: 甲野善紀
  • 出版社/メーカー: バジリコ
  • 発売日: 2008/10/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



[2]

非常識経営の夜明け 燃える「フロー」型組織が奇跡を生む 人間性経営学シリーズ2

非常識経営の夜明け 燃える「フロー」型組織が奇跡を生む 人間性経営学シリーズ2

  • 作者: 天外 伺朗
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008/10/01
  • メディア: 単行本



[3]

薄氷の踏み方

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  • 作者: 甲野 善紀 名越 康文
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2008/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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