160億円(所有)持ってても走る。僕ならさぼってしまうよ。(価値観考) [テレビ・ラジオ]

最近、自己矛盾を強く感じることが多く自省自省の連続。言ってることと遣ってる事のギャップが広がってしまうことが多く、心の中が荒んでいる。。。
 
 先週、今週と自分の身の回りにさまざまな出来事が発生。前半は超デカイガッカリな出来事があったのにもかかわらずなんとか”ゆらがず”平静を保っていたが、後半はとうとう絶えきれずに、その一つ一つにあきらかに”ゆらいでいる”自分。それ位に前半のインパクトが大きかった。尾をひいた。相手には平静を装えたが。。。それはさておき ”ゆらがず・とらわれず”を実践して周りも自分も幸せになっていこう。と言って来た自分なのに、まったくダメダメな1週間をおくったのが心苦しい。偉そうな事が言えても所詮その程度の人間ということである。

 そんな”ゆらがず・とらわれず”を実践出来ていない自分を少しでもマトモな精神状態に修正するために自分にあまり焦点を当てずに考えてみる事にした。人生における”価値観”である。これまた大きなテーマなんだろうかW

「160億円持ってても走る。僕ならさぼってしまうよ。」[1]

スクリーンショット(2014-04-26 9.21.23).png


マツコさんが出る番組はいくつもあるが、この番組はその中でもさらに面白い。いやそれだけでなく考えさせられてしまうのは僕だけだろうか。

今回離していたテーマの一つが、同年代の活躍している人を見ると意識過剰になる。って話。

有吉さんなら松井秀喜さん。マツコさんなら貴乃花さん。といったように同年代の人たちの活躍が凄ければ凄いほどコンプレックスを感じるというもの。1歳でも上ならスッゲー。1歳でも下なら、頑張ってるね。となるが同年代となるとヒタすらコンプレックス。。。。

自分自身の価値は、どうしても収入額が基準になってしまう。しまっている。これが実態。マツコさんがそうらしいが僕もその口である。(偉そうな事言っておきなら残念ながら島田自分もその程度なんです。。。[2])

田中投手が7年契約で160億円貰った。160億円もってても走る(トレーニングする。) 自分だったら、サボるけど。。。
これ確かにその通り。お金の為に働いているのであれば、そういう理屈になるが、田中選手、イチロー選手などは明らかにお金そのものに価値を見出しているわけではないはず。ただ、評価値としての金額(数値)として凄く意識しているかもしれないが。(イチロー選手の域だと、数値評価は一切関係なく価値観は他人の評価というよりもひたすら”ゆらがず・とらわれず” 今遣るべきことをひたすらやっている。仕事としてではなく、ライフワークとして野球に専念しているのでしょう。)

そういう純粋さ、ひた向きさを見てまた自己嫌悪。。。。

そういう領域こそ目指すべき世界。フローだ。ゆらがず・とらわれず。を実践しよう。と言っておきながら全く、ダメダメな自分の存在を痛感。

でも、世の中の多くの人たちが、お金以外のところに価値基準を持てるようになったとき、世の中が本当に大きくかわるのだろうと改めて思ったのも


スクリーンショット(2014-04-26 9.22.50).png



ここからはネガティブモード。つまり”ゆらぐ・とらわれる自分を表現している話。単なる愚痴、妬みを吐き出している。と思っていただければ結構である。[2]

 仕事をして行く上でやはり気になるのが他人からの評価。その多くは上司からの評価ということになるだろう。もちろん面談などでのやり取りや評価ポイントのような数値での評価がそれにあたるが、やはり最も気になり伝わりやすいのは、給与、賞与だろう。
 
 同じサラリーでも給与と賞与とでは、意味合いが全く違う。ということをまずここで強調しておきたい。
賞与とは、その個人の遣って来たこと、貢献に対する対価である。
反して、給与とは、その個人に対しての、期待値である。貢献に対しての評価、コレからに対しての期待値。両方高いにこした事はないし、どちらもフェアに評価してもらいたいのが人情である。またどちらもお金のことなので個人のパフォーマンスだけでは決まらない。会社の業績が決定要素の一つになるからだ。(これも実は、俯瞰的に見ると会社の中での貢献度や、期待値ととらえずに世の中が良くなるため、みんなが幸せに暮らすための貢献度、期待値と考えれば会社の業績が絡んでくるのも自然なことだと受け入れられるだろう。)
 給与と密接にからむのが昇進(出世)である。これも現在の能力とのマッチングに加えて、期待値が盛り込まれる。



 僕自身は、常々 賞与には無頓着で、給与と役職に凄く意識が高かった。というか今でも高い。他人から評価されたい、感謝されたい。という自己顕示欲みたいなものが高いのだろう。そこそこ(いや自分でいうのも変だがそうとう)貢献してきたお陰で賞与のレベルはここ約10年間は高かった。だが、期待値は上がらないどころか、下がった。そういうことに憤りを抑えるようにしてきたのだが、今週はとうとう我慢がならない。そんな気持ちになってしまった。それが、ゆらいだ。ゆらいでしまった。ということである。会社が会社なら、上司が上司であれば。。。。とついつい思ってしまう。僕のやってきたこと成して来たことを”全て”聴けば、僕が受けている待遇が低すぎる。と言ってもらえるのは間違いがない。(たしょう大げさかもしれないが”5年前に海外販売会社を2つ救った。(すくなくとも1社は閉鎖されていた可能すらあった。それが今でははやし立てられる存在だったりもする。それ以外にも” ”事業本部方針を変えさせた” これはまぎれも無い事実。この2つに対してすくなからず影響を与えたと認識している。その為にも軋轢を避けなかったし、嫌われたと思う。だがそんな事は、社内でも社外でも言うべきではないと思って逐一表現はしていない。ましてや、上司にも。なぜ?分かってもらえていると思ったからである。が、現実はそんなに甘くない。彼らに残っているのは、軋轢、嫌われ者。という印象だけ。会社でサババイブするためには、好印象アピール力は不可欠のようである。本質的じゃなさそうで、これが実は本質なのかもしれないが。。。なんかそういうことに納得できないままずっと過ごして来た。我慢してきた。だから、なんでこいつが上司なんだよ納得いかない。これだけのことをやって実績だしているのに昇進できないんだよ。それどころか格下げ。理解できない。。。ついつい書いちゃった。でもこれって僕だけが受けて来た悩みではないだろうから。。。。まだ,ましな方? 妬み?他人からするとそう取られてもしょうがない。だからこそ、アピールもしないようにしてきたのだ。自己矛盾に悩んでしまうのであった。)

あ〜っ、スッキリした。

ではでは。

(後記:先ほど図書館に行った。こそでなんとなく手にしたのが『論語』いきなり飛び込んで来たのがこの行。「子曰く、学びて時にこれに習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして恨みず、亦た君子ならずや。」(。。。。。人がたとえ自分のことをわかってくれくれることがないとしても、気にする事はない。それが立派な人物というものではないだろうか。))なにか因果を感じたのだった。[3]

[1]マツコ&有吉の怒り新党(テレビ朝日 4月23日23時15分〜放映)
http://site.garapon.tv/g?g=1SJP7FE51398262500

[2]マイク島田の 愚痴・妬み

[3]『面白いほどよくわかる論語』石田琢智(著)(2008年 日本文芸社)




nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。