2年でこの会社を変えられるか。 (V字回復の経営 三枝匡(著)からの学び その①) [書籍・雑誌]

 訳あって、以前読んだ『V字回復の経営』三枝匡(著)を読み返している。
初めて読んだときも衝撃を受けたが、読み返すとさらにこの本の深さが理解出来る。読み込むために1冊買い足して、1冊目に書込みをしながら熟読している。(いや読む速度は以前よりも早いが、自分なりのポイントをしっかり考えながら読むようにしている。)
 より具体的にイメージしながら読むように心がけている。しかし自分だったらどうする。という具体策までは浮かび上がってこない。これは僕の経験不足によるものなのか、それとも素養がないかのどちらかだろう。しかし、みじかで起こってきたこと、起きていることを手に取るように理解出来るようになったのは、初めて読んだときから積んできた経験や学習(読書、聴講、通学、勉強会など)が多少なりとも役にたち始めているのだと思う。(三枝さんの講演会は2度ほど拝聴させていただいた。海外販売拠点に駐在中に販売会社の社長たちと触れることで学びを深めた。会社を変えたくて、ビジネススクールに通い始めた。また、社内で手弁当ながら寺子屋的な勉強会を継続している。などやってきた。)

 前置きは、ここまでにして、この『V字回復の経営』を読み返す課程のなかで、グっとくる言葉、内容を書き留めていきたいと思う。今ここで役に立てることができなくても、現在勤めている会社を去った後の人生で、もしくは、後輩たちのために役にたつかもしれないという思いで書き留めておきたい。勿論、この2年で会社を変えることを諦めたわけではない。文中の「」ないの表現は、全て本著書からの抜粋である。

■不振事業をいかに蘇らせるか
トコトンやらないと日本企業は変わらない。変えられない!「「毒を食らわば皿まで」の覚悟でトコトンやらない限り日本企業の体質は変わらないことを、私は多くの体験から思い知った。
 会社を元気にするためには、その会社の「戦略」を大きく組み替えなければならない。仕事のやり方」をドラスティックに変えなければならない。しかし、なによりも大事なことは、危機感をバネに「心」と「行動」を束ね、皆で一つの方向にはしること。」  →(僕なりの理解:力を集結して成果を最大に出すために、戦略、戦術の変更をせよ!社員一人ひとりが当事者意識を持つような状況を作ること!

 「「企業戦略の最大の敵は、組織内部の政治性である」とりわけ組織が肥大化した企業では、改革を狙い撃つ弾は、前面の敵よりも、しばしば後ろの味方陣地から飛んでくる。ここで言う政治性とは、会社の中の派閥のような話ではない。危機感の欠如と変化への恐れから、新しい変革に背を向け、身の安全を図る。そのため企業を変えようとする努力は社内のあちこちで骨抜きになり、結果的に業績回復や体質変化が遅れてしまう。」
→まさに大企業病の症状の一つ。組織内部の政治性。痛感している。

■求められる経営技量
 米国企業および社会と日本企業、社会との対比から見えてくるもの。
「(米国)昔は米国にも長期雇用システムがあったが、今は、米国資本主義の「株主支配型」経営。株価維持や財務目的で社員を切ることが普通になった。」
「(日本)大義名分としての日本的雇用システムを守る。以外にも、仲良く暮らしてきた村社会から、自分の村人を切り捨てても平気という冷厳な経営者は生まれにくい。恨まれても得はないし、自分一人に札束が降ってくるわけでもないのが日本。」
だが、これが問題を先送りすることに繋がってきたのが日本。既存の枠組みを壊さない範囲の改善にとどまり、閉塞した経済環境の中で余剰人員を抱えた経営者が、人減らしや体型変更はイヤだが、ドラスティックな組織活性化は必要だ。という矛盾を抱えたまま時間を費やしてきた。
では、どうしたらよいか。その矛盾を解決するには。「そこにいる社員が今まで以上に有効な働きをすること。」それしかない。
→社員一人ひとりが今まで以上の付加価値を生むような仕事をするしかない。(単位時間あたりの創造価値の向上しかない。)
【後日談】 これらは、三枝匡さんの講座を受けるにあたり、事前に『V字回復の経営』を読み直しながらメモ、自分なりの考えを書留めたものの一部。だが、実際勉強会では、まったく役に立たなかった。講座では、この状況を作るにはどうすればよいのか?を読み取るものであったからだ。  つまり、「そこにいる社員が今まで以上に有効な働きをすること。」そのためには、経営者として何をすべきなのか。を考える。というもの。実際は、著書のなかにそれが鏤められているのだが、それを読み取るのは容易ではない。  三枝さんの解説、詳説を聴いて『V字回復の経営』の内容の濃さ、メッセージ性の高さを始めてしった。理解出来ていなかった自分、甘かった自分にハッとさせられた。  自分は、所詮『インテリサラリーマン』の域を脱していない。いままでやって来たことは、『ママゴトにすぎない』ということを痛感させられた。  自分自身では、それなりの修羅場を経験してきたつもりだった。(寝汗で何度も何度も起き、うなされる日々を過ごしたこともある。)だが、それは、僕の能力があまりにも低かったことでしかない。そんなこと思っているようだからこのレベルなのだろう。突き詰めて言うと所詮、自分は経営者になる器ではない。ということなのだろう。三枝さんの「器も経験、努力で大きくなる。カラツじゃないんだから。」という言葉に救われた気もしたが、年齢によってその器の成長、弾力性も限られる筈。僕自身、夢ばかり見ていないでどう生きて行くか、真剣に考え直す時なのだろう。これこそ死活問題。会社、上司に不満を言ったり、閉塞感とか言っている場合ではない。自分の人生のための次の一手をどうするかが目下の課題だ。 ではでは。


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