Common Goodを追求する企業のみが生き残る社会。野中郁次郎、紺野登、一條和夫 [講演会・セミナー]

先日、紺野登先生の模擬授業を受けたことは既に述べた。それいらい共通善の実行(Common Good)への興味が深まっている。功利主義か、共通善か。マイケル・サンダルさんの授業が有名になったことも手伝ってさらに脚光を浴び始めている。

これまた先日より、熱狂的にファンになってしまったザッポスなどはCommon Good追求型企業の典型ともいえる。この視点で会社経営というものを今一度考えてみたい。

下記、人さまのサイトからコピーさせていただいた。自分自身でも野中先生と紺野先生共著の「美徳の経営」を読んで理解を深めたいと思う。一條和生先生のお話を聞いて以来フロネシスが気になってしょうがなかった。いい機会に出会えたきがする。紺野先生ありがとうございました。

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野中郁次郎はいう
『日本の経営や職業的な倫理観の中には、古くからある種のコモン・グッド(共通の善)を追求する意識が埋め込まれています。企業は社会的存在で、共通の善を追求する責務を負っている。そんな自覚を持ちながら、共通善の実現に向けて無限に努力する経営を脈々と錬磨してきたのではないか。それはかつて武士道、職人道、商人道と呼んでいたものです。・・・そのような共通善を追求する前提となるリーダーシップを「フロネシス(賢慮)」といいます。アリストテレスが提唱した、善の実現に向けた実践哲学です。・・・
これまでの世界を支配していたアメリカ発の経営モデルは、「経営はサイエンスである」という、考え方をベースにしています。物理学と同じで、全てを定量化、対象化して分析することで、論理的、実証的に唯一最善の解を求めることができるという考え方です。こうした価値中立的な考え方は、我々の存在が何であるか、我々はどう生きたいかという人間の意志を排除しています。・・・
暗黙知を形式知に変換しようと試みる過程で、今度は「言語化できないもの」の存在に気づく。形式知に変換できないものの存在を自覚した時、企業としての深みが増します。
形式知だけをベースにした経営では、こうした現実の生き生きとした暗黙知が組織からこぼれていってしまう。さらに共通善の追求という実践哲学が不在だと、企業という存在そのものをモノとして、企業を売買も合併も解体も自由にできる「マネーメーキングマシーン(お金を生む装置)」と捉えてしまうことになりかねない。・・・
利益追求が自己目的化した企業は、環境が変化した時の復元力に乏しい。お金は本質ではなく、手段でしかないからです。』

企業が追い求めるものは コモングッド であるべきである。
フロネシスを発揮できるリーダーシップ。
経営を 統計的な手法だけで 数字だけで評価しない システム。
形式知ではなく 暗黒知が 重視されること・・・

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なるほど。一橋大学の授業も一度うけてみたい。

ではでは。
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