体内革命を続ける、甲野善紀さん(武術研究者) [講演会・セミナー]

61歳とは思えない身のこなし。常人ではないではない。以前ひょんなことから甲野さんのDVDを購入してたので画面でみたことがありました。それをきっかけに興味をもっていたのですが慶応の丸の内キャンパスで実際お話を聞くそして、実演を拝見する機会に(2010年11月18日(木)18時30分~20時30分慶応MCC夕学五十講)恵まれました。。
甲野善紀身体操作術 (アップリンクDVD選書)

甲野善紀身体操作術 (アップリンクDVD選書)

  • 作者: 藤井 謙二郎
  • 出版社/メーカー: アップリンク
  • 発売日: 2007/09
  • メディア: 単行本






武術を志されている方だけあって、一種独特な雰囲気をもたれていますね。会場内数百名の参加者がいましたが完全に飲まれていたように思います。武術家らしく、道着(はかまに下駄)を身につけられていて具体的な”うごき”を実演するために日本刀も携帯されていてそれだけでも圧倒されるのですが。ユックリと語り掛けるような口調。空気がピーンと張り詰め印象の会場でした。
講演のかなかでは、はっきりとコメントされてはいませんでしたが服装には、プレゼンテーションとしてのアピールを意識されていうのではなく、ここの理由がある。ということのようでした。動きのなかでは、ひねる。居つく(踏ん張こと。)は厳禁である。古来日本人がやっていた動きのなかに有効な身体の活用方法がある。ということらしく、その動きを実践するには、和装道着が向いている。ということのようでした。下駄履きは、鍛錬という意味合いがあるようでした。ただ一枚歯の下駄は、「腰痛を治すのに良い。」というコメントもありました。ちなみに当日は、道着に2枚歯の下駄という服装での講演会でした。)

講演を通じてコメントされていたのは、「現代社会は科学に対して過剰な信奉をしている。それが逆にさまざまなことへの阻害要因になっていないだろうか。」ということでした。少なくとも現代と武道をこころざしていた江戸時代とでは、人間の身体能力(かだらのうごき)という点では現代人は、劣っている。と断言されていました。

甲野さんの研究や「うごき」そのものに興味をもって接してくる団体には、この2つがあるそうです。
1.スポーツ関係の団体。ラグビー、柔道のような格闘技から野球(桑田真澄さんなど)や陸上競技せんしゅなどさまざま。
2.ロボット開発研究者の方々。ロボットの動きを考えるうえで役立てようという趣旨らしいですが、
興味深いのは、この2つのグループの甲野さんの動きへの反応の仕方だそうです。
で、スポーツ関係者は、とにかく自分の言葉で理解しようとするんだが、理解できなくて結局”認めない”という姿勢。新しいものに興味はもつが、自分が自分自身の理解にただこんらんしてしまう。と分析されています。
反してロボット研究者などの方々は、根本的に新しいものとして甲野さんの動きを解明しよういう姿勢で継続的に接する方がおおく、現在、一緒に研究活動をされている東京大学工学部の国吉康夫教授などもそのひとりだそうです。ロボット工学系の人は、クリエイティブさがあって興味を満ち続けてくれる。という印象をお持ちでした。

「甲野さんの動き」は、現代科学では解明が難しい。とされる理由の一つとして"論文形式”のアプローチ方法に課題ありとお考えでした。論文形式、つまりAという現象があるからBとう現象が導かれ、Cという事象が誘発される。このように1対1対応で物事を理解しようとする発想に限界がある。実際は、さまざまな事象が同時進行で動いているのに。そういう解釈が出来るかどうかが鍵。結果、結論に向けてデータを集める。という行為で進めることになる。という主張です。なるほど。

■科学的トレーニングも虚しい。

甲野さんによると、過去の記録をみていくと現代人の身体能力は、昔の武術家、格闘家より劣っている。とのこと。甲野さんの頭のなかで、一番すごかったと考える人に明治初期に活躍した”中井亀次郎”という剣術家を挙げられていました。彼の身体能力は、いまのオリンピック選手でも叶わなかった筈。
その根拠として挙げられているのがこの人の剣術の収斂方法。空の醤油樽を背負って、山を登り、土砂崩れの後のような斜面にそれを転げ落とすやいなや、その醤油樽を追って、それを棒で叩きながら下まで駆け下りたという。で、なぜそんな荒稽古ができたかというと、亀次郎は10歳くらいから兄と2人で猿の群れを追って、逃げ遅れた猿を生け捕りにしていたというんです。 (これまた、幕末の剣術家 桃井春蔵さえも唸らせた凄さだった。ことからも信憑性が高いと解説されていました。)

本当に上達するには、稽古を我慢してやる。とか、褒められたくてやる。ということそのものに大きな問題があると。
①やらずにはいられない状態でやる。要は、面白くてしょうがない状況。ゲームをしている子供の状態が理想。(だれがゲームを褒められたくてやっているか?)
②命がけで取り組むこと。(武術家の鍛錬は命がけ。亀次郎の稽古の一つ一つも命がけ。)
この2つが上達のための秘訣であると。(極めるといったほうがシックリしそうですね.この場合は。)

現代は、筋力トレーニングで体をつくろうとする。筋力トレーニングで筋力はつくだろうが、あれは疲れたくてやっていると云わざるを得ない。当然、やらないよりはいいのだろうが。では、どのようにすればよいのか。ということだが、「昔のように仕事で体をつくれ」とのこと。筋力トレーニングでは、筋力は付くが体のなかのネットワークが作れないし、体を壊してしまう。大相撲が良い例だと。悲しいかな、この考え方が迷惑だとしているのが現在の考え方のようだ。と仰っていました。
では、どうやって体をつくるのがいいというと仕事で体をまず作る。漁師仕事の手伝い、農業の手伝いなど生活密着型の仕事で体をつくりなさい。ということのようです。現代流の科学トレーニングと仕事作業のなかでつちかう体作りとの違いは、科学トレーニングは部分的に個別に鍛える。それに対して仕事で体を作るというのは、一連の作業のなかで体の各部署を同時に鍛える。甲野さんの動きがなぜ流れるようでかつ力が入ってないようで凄いパワーが発揮されているかというと体の各部位の連携がスムーズにとれていること、各部位の間でちょっとずつ、ちょっとずつ仕事分担をしているからだそうです。それが科学名とレーニングでは身に付かないということのようです。

スポーツのコーチや、甲野さんの特集番組を打ち切ったNHKのプロデューサなどに見られるように、この世の中には「もの凄く簡単なことを理解しようとしない。してはいけないという風潮すらある。」
「おいしい料理を目の前にして、これは科学的に美味しいと云っていいのか。」というの風潮。事実を目の前にして、科学的に説明つけられないものは非科学的だから認めない。というのはやはりおかしいのではないか。という事のようです。

実際、甲野さんの動きを目の前で見せられると、「ええつ」と驚きの連続です。まあ、頭で考えると混乱しますね。たしかに。

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■大事なことは、使わない事。
いろいろ自在に動くから駄目なんだ。”頭”は、余計なことを考えるから馬鹿社長。”手”は、社長の命令にしたがって動きすぎるからデシャバリ社員。この2つを働かせない、働かないように制御することが秘訣だそうです。

頭で考えるとなんでなんだろう。と思って出来ることも出来ない。体内部位の連携をとらせるための指の構え方や、肩を殺すための手のひらの返しなどがデシャバリ社員のコントロールの仕方だそうです。介護などで我々が人の頭を抱えて体を起こすやり方も甲野さんのやり方とは全く違う。全てが逆に見えるのですが結果、スムーズ(楽)にこなせるというものです。(甲野さんでなくても誰でも実践出来るというところがまたいい。)
「なぜか?なぜ出来るのか?!よりも出来るならそれを使え!」が極意のようです。

先を占ってしまうから駄目なんだ。用心深くなってしまう。”火事場の馬鹿力”なんてこれ持てるかな?なんて考えないから出来ること。人間の能力を引き出すには頭で考えては駄目だ。

一流選手ほど臆病。今にしがみつこうとする傾向が強い。おもしろがって純粋に本人の意思でやることが秘訣。組織はゆるく、本人のやる気を重んじるのがよい。とか。

■私は、スランプになったことがない。
スランプってなぜ起こるとおもいますか?昔の良かった自分を懐かしくおもうからスランp;ウになったと思うのです。私は、スランプになったことがない。いつも今の自分を良いとおもっていないからです。(61歳)の今、一番体が動いている。事実、40歳の頃に柔道の選手を手玉にとれると思っていなかったがそれが出来ている。

真剣の握り方を2年半前に変えたそうです。刀って皆さんどう握るとおもっていますか?右手と左手を離してもつでしょ。私も2年半前まではそうでしたが、変えました。右手と左手をくっつけてもつ。自分でも握ったところを鏡をみて素人みたくて不恰好におもっていたが慣れてくるとしっくりしてきた。(まあ、見た目は主観的なものなので変化しますからね。)
で、なんでそういう持ちかたに変えたか。2年半前体の中で動きがあってそれをきっかけに変えた。場所は岡山。なにかの縁*です。とのこと。

剣道のような竹刀を使う場合は、両手を離すので正しい。要は、真剣には反りがあり、刃の部分と胴の部分がありる重心と全体のバランスが竹刀とことなるものを操るわけだらか適した握り方が違う。これは自然なことだというのです。

昔の画などをみても、剣術家はみんな両手をくっつけて持っている。以前は、疑問にも思わなかったがこれで理由が分かった。とのこと。北斎の画などをみてもそうなっている。そうです。

よく、いろいろな動きに関して「どうやって出来るの?どういう風に練習すればできるのか?」といわれるが「やってやれるようになった。」としかいえない。とコメントされたところにも妙に説得力を感じました。

(註釈)
「なにかの縁」と表現されたのには、理由と背景があるようです。甲野さんは年がら年中、講習会と銘打って全国さまざななところで実演会をされています。その実演会は、どうやら見せるためのもとというより、自分自らの気付きをもらうための活動のようです。言葉では表現しきれないまでも、表現しようと努力しながら自問自答しながら実演しているなかで「はっと気付きがある。とか、体のなかで動きがある」そうです。で以前出来なかった動きが出来るようになった。ようです。

61歳を超えても進化を続ける甲野義紀さん。真剣の取り扱い、取り回しのスピードが以前よりも早くなったと豪語。確かに速い。体内での革命をし続けている。すべては、ご自身の気付きがそうさせているようです。
クルム伊達公子さんもなにか共通するものがありますね。一旦現役を退いて、カンバック。以前より進化してさらに強くなっている感すらあります。現役を一旦退いて、よりゲームでなにをすべきかが見えるようになったお陰だ。とコメントされていると聞きます。

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僕の好きなことばに「開拓無限」というのがあります。まさにこのお二人にぴったりですね。

ではでは。

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