「我が社も意外に保っている。その惰性にいつの間にか自分も染まりこのまま人生を過ごして行くのか。。。」三枝匡さん [講演会・セミナー]

「いまの日本の状態、日本企業。我が社も意外にもっている。その惰性にいつの間にか自分も染まりこのまま人生を過ごして行くのか。。。」
上手い表現だ。と思うと同時に僕だけじゃない。というのと、経営者の立場でもそういうのが見えているというのが驚きだった。この切り出しで始まった三枝匡さんとミンツバーグも認めたと言われる伊丹敬之さんによる、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー創刊35年記念セミナーに触れたい。それにしても、三枝匡さんのこの表現が僕を含めた多くの日本人ビジネスマンの心情を見事に表現していると思った。

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 伊丹さんと三枝さんは、大学の同期。だが学生時代はお互い全く知らなかった。三枝さんが29歳の時に這いつくばる思いでスタンフォード大学に行った時に29歳で準教授としていたのが伊丹さんだそうだ。そういう間柄だが、講演会などで一緒に登壇されるのはこれが始めてだとか。(共著のための対談などはあるが。)あらゆる意味でラッキーだったと思う。

「V字回復の経営」など企業再生を題材にした著書で有名な三枝匡さんの出る講演会、もちろんこのセミナーに参加する前から期待はしていたが、遥かにその期待値を超えていた。満足度?いや、感動体験といえるそんな4時間。凄いと感心すると同時に、自分の甘さ、レベルの低さをしみじみと感じたのも確か。世の中は、広い。。。そして、自分がいかに勉強不足かを今回も痛感したのだった。

 当日の三枝さんと伊丹さんのお話の流れ、内容は、「日本の経営」を創る(三枝匡 伊丹敬之(共著))がベースになっていた。加えて三枝さんの話は、「経営者人材」育成論 (Diamond Harvard Business Review2007年1月号)の論旨が話の中心だった。

 講演を聴いて、さらに「経営者人材」育成論 (Diamond Harvard Business Review2007年1月号)を読んで印象、感想、気付きをここに記事にしてみたい。
 「経営者人材」育成論の副題にまずグッとくる。”人は、「論理」と「現場」の行き来で磨かれる”。コレ先日読んだ 楠木 建さんによる記事”「抽象」と「具体」の往復運動 ”を想起させてくれる。(下記その記事の抜粋)

ビジネスの現場で抽象的なことばかりでは、「じゃあ結局どうするんだ」という話になりますから、どんな仕事も最後は具体的な行動や成果での勝負です。ただし、具体のレベルを右往左往しているだけでは具体的なアクションは出てこない。抽象度の高いレベルでことの本質を考え、それを具体のレベルに降ろしたときにとるべきアクションが見えてくる。
 また、具体的な現象や結果がどんな意味を持つのかをいつも意識的に抽象レベルに引き上げて考える。具体と抽象の往復を、振れ幅を大きく、頻繁に行うことが、「アタマが良い」ということなのです。楠木健 「抽象」と「具体」の往復運動 http://diamond.jp/articles/-/16412 より抜粋
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 僕自身の実務経験からすると、具体論にばかり拘る人が多い。会社の中では重宝がられるが立場が高くなってくると抽象論も語れないと行けないと思う。具体論のなかでばかり動かしていると結局当たり前の事、短期的なことに留まってしまう。部分最適でしか思考していないことになるのが良くわかる。そういう人と出会うたびに勘弁して欲しいと思うのだ。視座を高く持つ人は、具体論と抽象論の間をいつも行き来し、アドバイスコメントにも反映させているという実感を持つのだ。ビジョナリーと呼べる人は、これが確実に出来ている。自分の組織の長には、ビジョナリーであって欲しい。と改めて思った。
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三枝さんは、「経営者人材の枯渇」が日本企業、経済を深刻にしている大きな原因の一つであるとし、その経営者人材の能力は、戦略性を経営現場で実践し、成功と失敗の経験から得た「因果律」を蓄積することでのみ磨かれるとしている。そういう人材は、修羅場で鍛える。とも言っている。

実際、三枝さんは、ミスミでなにを遣りたかったか。やっているか。に関しては、元気を失った日本に「この元気な会社あり!」と言われる会社をつくりたい。という思いで
1stプライオリティを「経営リーダーを育成する」
2ndプライオリティを「事業成長を目指す」
という優先順位で語ってきたし、経営を実践している。そうだ。たしかにミスミの求人広告などにもそれが反映されているのがわかる。

■経営者人材の条件
幹部、部門長らに「戦略経営の手法」を徹底的に教え込んで行けば事業は成長する。というのが持論。その徹底的に教え込む方法の一つが、修羅場を経験させる。そのための乱暴な人事もやる。ということらしい。要は、資質のある人間を見つけ出し経験を積ませる。ストレッチさせて成長させる。そいうことが日本には求められているという事らしい。

では、その資質だが、「熱き心」と「論理性」を持ち合わせた人間がそれに相当する。ただし、この2つの要件にはおおきな違いがある。どちらも、”性格”+”知識”から構成されるのだが、「熱き心」というのは”性格”持って生まれたものに大きく依存する。それ故、遅くとも学生のころまでに育まれたもので形成される。よって会社で教えることが出来ないものだというのだ。反面、「論理性」の部分は後天的な知識が主な構成要素になるので後からでも鍛えようがある。という。
 また、「自分から取りに行く」姿勢が大切だとも仰っています。なにを取りに行く?なんですがそれはリスクをとること。リスク志向であること。その「リスク志向」は何処からくるのか。ですが、これを支えるのは、「熱い心」であり、「野心」とか「志」とのこと。
 たとえば、ビジネスマンで言うと”自分のしたい仕事が出来ていない事に焦燥感を募らせ、なんとかして現状を打破しようと必死にもがき続ける人。生々しい「上方志向」が日本ではすっかり異端視されるようになって来ているが、それは大切な要素だということらしい。それは、米国流の単なる利殖を目的とするものをイメージするよりは、自分の属する組織や企業、日本という国、あるいは世界に関連づけて自分の志を組み立てられる人。をイメージすると良いそうだ。

■修羅場で鍛える
 経営現場における実践では、論理で割り切れないものがたくさんある。人間の行動や感情が単純ではないから。経営者は、「論理性+リーダーシップ(熱い心)」を毎日のように「現場体験」で試され、そこからの学びが自分に戻り「論理性+リーダーシップ」をさらに高める。理屈ばかりという人は、頭がいいのですが現場体験が足りない為にそうなっている可能性が多い。この学びの戻しが強ければ強いほど、成長する。と力説されていた。その戻しのなかから「因果律」を見つけることが大切。(論理性+熱き心のところを抽象性+具体性 と置き換えることもできそうだ。)
 修羅場とは、学びのサイクルが劇的なスピードで回転する状況のこと。上方志向の強い人は、「リスクの淵に近づく覚悟」があって、自分にとって未知のことに挑戦する事が多くなるので、予想外の事態に巻き込まれる可能性も高くなる。修羅場とは、未知体験が呼び込むもの。挑戦的に生きる者は修羅場への覚悟がいる。
 経験(疑似体験もふくめて)がすくないと、因果律を読み違えて修羅場を作ってしまう。だが、この修羅場で自分の読み間違いに気づくことで正しい、因果律を見出す事になる。そういう意味で困難・修羅場の経験が大きな学びをもたらしてくれる。だから経営者人材の育成にもってこい。ということらしい。
 では、困難に直面しないと因果律の習得を早める事はできないのか。というとそうでもない。あらかじめ「考え抜く」ことで失敗していなくても、もともとの描いていたシナリオと状況との間に違いが現れてくれば、自分の頭でその原因追及、反省を繰り返すことで気付きが生まれる。これを三枝さんは、「失敗の疑似体験」と呼んでいるそうだ。計画なんて外れて当たり前。って考えてプランニングを緻密にしないひともいるがそれは大間違い。自分の学びのためには必須だそうです。
 因果律をいくつも見つけ出す事ができて、自分のものに出来ていれば「勘」のいい経営者になっている。とも言える。
 いまの日本では、挑戦の「場」を与えられずに悶々としている若手がたくさんいる。部下を厳しく叱る気風もすっかり衰えて、表層的な和気あいあいで済ませる上司が増えた。それでは、人は育たない。
 三枝さんは、ときどき部下に「乱暴な人事」をするそうです。ストレッチな人事。たしかに中にはパンクするひともいるので、実力とギャップが大き過ぎてはいけない。「身の丈にあった飛躍」になるようにジャンプさせたいというのが背景。「乱暴な人事は、リーダーの素養を持つ人材に対して行うもので、弱い人材にそんなことをしたらいじめになる。」とも仰っています。

■座学で鍛える
普通の会社では、職場の上司が理論を教えてくれる事は期待できない。実体験に基づいて教えてくれる上司はいる。だが、ストレートに経営理論に踏み込んで教えてくれる人は殆どいない。
 だからと言って、三枝さんは会社が社内教育を用意するものでもない。と言っています。書籍や会社以外で学べることは、自分のお金で勉強してくれ自律の精神でやってくれと言っているそうです。ただここにはもう一つ思いがこめられているようです。そうやって各々が自分で勉強するとなると、会社側、経営者側は独自の経営者向きコースを用意しなくてはならなくなる。外部講師を連れてくるだけ、書籍や社外で学べることを安価にて供する程度でお茶を濁せなくなる。というのが真意のようです。
 エンパワーメントという言葉は、日本語で、権限委譲と訳される事が多いが、本来の意味は「顧客と競合に向き合って自律的に物事を決められる組織を先ず確保してあげること」だそうです。その自律性をもたせる工夫としてミスミでは、「創って、作って、売る」というワンセットを持つ組織を配下に持たせる。そうすればリーダーは自然に自律性を発揮し始める。
 日本はごまかしの権限委譲が多い。有能な人材が自律的に動けば、再び元気になる事業が日本にはまだまだある筈。カンパニー制を表層的に導入して、組織の実態はなにも変わらなかった。という企業が実際多いのもその一例。
 
 危機感は、言葉だけでは生まれない。経営トップが「危機感をもとう」「意識改革をしよう」などと口にした時点で、リーダーとして失格。必要なのは、ハンズオンの行動と戦略性。「ハンズオンの行動」組織のボトムで問題になっていることを部下のために解決してあげる。「戦略性」大きな、戦略の絵を描く。この役割をミドルに託すのは、トップの無責任。
 自分にもまずいところがあったと社内の一人一人が気づいて反省した時、初めて組織は改革にむけて動き出す。社内にその「強烈な反省論」の絵を示すのが改革者の最初の仕事。

 社員をだれもかも全員、経営者人材として育てる必要はない。向き不向きがある。血が騒がない人には、それなりの着実な役割を果たしてもらえば良い。全員を平等に扱い続けるのは間違い。
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■ミスミにおける取り組み
 ミスミには「がらがらポン」と呼ばれる制度があって、二年に一度、社員は自由に職場を異動できる。上司も部下を選べる。会社がどうしても必要とするときは、逆に【社内指定人事】なんてものを引っ張り出すそうです。社員おのおのが会社に対して、強くコミットする。というのがポイントのようです。ミスミの組織コンセプトは「スモール・イズ・ビューティフル」「組織末端やたら元気」これこをが経営者育成の土壌だと考えているそうです。

座学でセオリーを勉強しない人によいビジネスプランは作れない。
「自分の戦略の実行に責任を持つ」というコミットメント・レターにサインをし、社長は「それを支援する」と約束する文章にサインをする。お互いがコミットするスタイルに拘る。「同じ船に乗る」ための儀式だったり、権限委譲の仕組みのベースにあたるそうです。

この三枝さんの言葉、グッときます。
「リスクの淵こを、人材育成に最適なのです。」日本企業は、リスクというか追いつめられつつある状況、何をやるにもリスク。行動を起こすのであればそれが人材育成に最適な環境だとも言える。とにかくアクションをそして、そのチャンスを若いものに与えるのが現在の日本企業のトップに求められている事なのだろうとあらためて思った。(Google日本の村上会長も若者にチャンスを与えよ。50歳以上は全員クビ!と仰っていたのを思い出した。)

(本記事の多くは、セミナーとその時に配布してもらったハーバード・ビジネス・レビューのバックナンバー2007年1月号 「経営者人材」育成論 三枝匡さん寄稿 からの抜粋および、僕の加筆によるもの。原文を一読することを多くの日本の経営者および、熱き心の持ち主におすすめする。)

ではでは。


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2007年 01月号 [雑誌]

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2007年 01月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2006/12/09
  • メディア: 雑誌



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